バリ島の日本語フリーペーパー「アピ・マガジン」のアラサー女性編集者たちがリレー形式で、リアルなバリの今をレポートします。バリに住んでいると、バリ人男性と日本人女性の夫婦やカップルの情報が自然と耳に入ってくるという。
バリ島に住んでいると、タクシーに乗る度に運転手から「どこに住んでいるの?」「結婚しているの?」「恋人はいる?」「バリ人は好き?」「バリ人の恋人を探してる?」というお決まりの質問攻めに遭う。うっかり「独身彼氏ナシ」などと言ってしまうと、連絡先を聞かれたり、家に遊びに来いと言われたり、挙げ句の果てに求婚までされることも。そう、バリでは日本人女性はとにかくモテるのだ。
「何で日本人が好きなの?」と聞くと、「可愛い(チャンティック)」「(肌が)白い(プティ)」としか答えない。こんな条件だけなら韓国人でも中国人でもインドネシア人でもいそうなのに、と住み始めた頃は思っていた。もちろんお金を持っているというのが前提だとしても……。しかし滞在が長くなるにつれて、日本人ブランドがなぜ好まれるのかだんだんとわかってきた。
ある日タクシーに乗車した時のこと。私が日本人だとわかると、いつものように会話がはずみだした。「僕は日本人の彼女がいるんだ。すごく好きで結婚したいんだけど、彼女は日本で働いているから」。
フライトだけで7時間の遠距離恋愛、彼女が彼に会うためには働かないといけない。仕事をしていると休みが取れないから数カ月に一度しか会えない。必死に働いて足繁くバリ島へ通う日本人の彼女を想うと、けなげだなと感じる。と同時に、尽くしまくる彼女にあきれてしまった。というのも、彼が運転しているタクシーは、彼女に買ってもらったものだと聞いたから。
バリの男にとって車と家はステータスの象徴だ。その車が手に入るのだったらそれだけで、日本人女性と付き合うのはメリットがある。彼女は「彼に仕事をしてほしい」という切実な思いでプレゼントしたものかもしれない。傍から見ると、貢いでいるようにしか見えないのだが、それは本人のみぞ知るところだ。
恋愛が高じてバリ島に移住を決めた日本人女性(30歳)もいる。出逢いは大学の卒業旅行。
出会った当時はFacebookもLINEもない時代。たまにかける国際電話で気持ちを確かめあっていたという。その電話料金たるやひと月ン万円というから愛の力はスゴい。
結婚を意識し始めた頃に、両親に打ち明けたが大反対。バリ島へ仕事をしに行くという大義名分を立てるために、現地のホテルに就職を決めて2年前に移住。もちろんすぐに結婚とはいかず、両親の説得を経てようやく来春に式を挙げるそうだ。アラサー日本人女性は「おしん」の幻影に取り憑かれている!?
話を聞いて感じるのが、日本人女性は「おしん」の幻影に取り憑かれているのではないのか?ということ。
「おしん」といえば、絶望的な状況のなか、辛い時でも文句ひとつ言わず、家族のために身を粉にして働く姿が、当時日本中を虜にした伝説的ドラマ。
インドネシアでも「おしん」が放送されていたことがある。親たちは子どもながらに頑張る姿を教え込もうと、放送が始まるとテレビの前に息子や娘を呼び寄せ、真剣に見るように説いていたという。
バリ人の家庭は筋金入りの家父長制。日本ではいまや父親が君臨している家庭をみることは少なくなったが、ここではまだまだ根強い。
例えばバリ島で人気のサッカー観戦。男性だけで町内の集会所に集まり、酒瓶を片手に楽しむのが当たり前。女性がこの中に加わることは絶対にない。女性は酒、タバコはもちろん厳禁、仕事以外でどこかにひとりで出かけることもない。家庭のために自分の時間を費やす、それがあるべき女性の姿なのだ。
このような母親の姿を見て育ったバリ人男性が、女性に「おしん」像を求めるのは仕方がない。日本のアラサー女性の内なる部分に「おしん」が存在しているのをバリ人男性は見抜いているのかもしれない。ゆとり教育はグローバル・スタンダードに対応したのか?
これらの恋愛事情がここ最近変わってきたという。日本でよく耳にする「ゆとり世代」。この世代の日本女性たちがバリ島を席巻し始めてきた昨今、バリ人男性が期待する日本人女性像からかけ離れてきたとか。
バリ人男性いわく「求めていた感じと違う」とのこと。何が違うのか、「おしん」と共に育ってきたアラサーの私にはわかりかねるところだが、おそらく「奥ゆかしい」「優しい」「尽くす」という「おしん」スピリッツがゆとり女子たちにないのであろう。かつての「NOと言えない日本人」というブランドが変貌し、優しいだけの日本人ではなくなってきたのかもしれない。
日本人女性ブランドの失墜。日本人という枠から離れ、欧米諸国のように個人として現地の人と向き合えるようになってきたとしたら、これぞグローバル・スタンダード教育の賜物だろう。
(文・撮影/「アピ・マガジン」編集部)