本書がすばらしいのはまず、市川崑の映画ではなく、そのタイトルどおり『市川崑のタイポグラフィ』に目をつけたところである。
市川崑の「犬神家の一族」はじまるあの独特の文字デザイン=タイポグラフィは、「新世紀エヴァンゲリオン」をはじめ、「古畑任三郎」のクロスワード風のタイトルデザインなど、さんざんオマージュやパロディの対象にされてきた。
だが、この本ほど徹底した研究はいままでなかったのではないか。
ちなみに「エヴァ」で使われた明朝体は、本家「犬神家の一族」(このばあい1976年公開の最初のバージョンを指す)のクレジットの書体よりも肉太だったりする(これは意図的にそうしたものらしいが)。
このほかにも本書では、グラフィックデザイナーでもある著者ーーこの本のブックデザインも手がけているーーならではの方法によって、市川崑の文字デザインの秘密が次々とあきらかにされている。

じつは、映画のタイトルロゴやクレジットのデザインは通常、専門の部門や下請けに発注するもので、監督本人が手がけるということはほとんどないらしい。そのなかにあって、市川崑だけは例外だった。
「犬神家の一族」のクレジットも基本的に市川によるもので、ここでは手描き文字でも金属活字でもなく、当時(1970年代中頃)普及しつつあった写真植字(写植)が使用されている。

著者は「犬神家の一族」のクレジットに用いられた写植文字の書体を丹念に調べていく。一見するとすべて同じ書体に見えるが、こまかく照合した結果、主に使われる書体=「主犯者」に加え、ひらがなで使われる書体=「共犯者」、一部漢字ではべつの書体=「事後共犯者」が混在していることがわかった。
このうち「共犯者」と「事後共犯者」にいたっては、作成した写植メーカーが異なる。その理由を探っていくと、当時の日本における写植業界の勢力図、さらには漢字の字体問題やら、写植登場以前の活版印刷の歴史にまでたどりついてしまうのだった。
ーーとまあ、すでに第1章だけでも、金田一耕助ばりの推理が展開されていて、じつにスリリングだ。ちなみに先の「主犯格」以下のたとえは、著者自身によるものである。


この本ではさらに、市川崑が「犬神家の一族」のクレジットデザインにこめた真意に迫るほか、あのデザインが生まれる過程で「触媒」となった(市川がインスパイアされた)ものとして、TVアニメ「ルパン三世」のタイトルシークエンスや角川文庫版『犬神家の一族』初版のカバーデザイン、さらに国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンがいざなった“日本再発見”の風潮など、じつにさまざまなものが引っ張り出される。ここらへんの鮮やかな手さばきには、とくに心を惹きつけられた。

ところで、この本の冒頭にも紹介されているように、市川崑自身は、「犬神家の一族」のクレジットについて、「写植文字を業者に発注したところ、文字を予想外に大きく印字してきたので、面白いからこのまま使おうということになった」と証言している。
だが、著者は「本人や当事者の証言を鵜呑みにしないのは調査の鉄則」として、市川の証言にも安易にしたがわず、客観的な裏づけや観察、推論を積み上げていくことで真意に迫ろうとする。
とかく本人の証言は、第三者の解釈以上に信用されがちだが、意外にあとでおもしろおかしく脚色されているばあいも多い(とくに市川崑はそのきらいが強かったという)。

著者の“探偵術”は、当人や関係者の証言よりもむしろ、ありとあらゆる“証拠物件”をかき集め、それらを実践を交えつつ分析することに重きを置いている。
人間以上に、残された痕跡(このばあいはデザイン)やモノは真実を語る……そんな真理を、勝手ながら本書から読み取った。(近藤正高)