稲船(名刺を見ながら)tk_zombie……お名前がゾンビなんですか(笑)。ぼくも大好きなんですよ。
ーー存じ上げております!その話も後でじっくり聞かせてください。まず最初に、稲船さんがゲームをお仕事にされたきっかけを教えてください。
稲船 子供の頃から絵を描くのが大好きで、自分の好きなことを職業にしたいと思ってこの業界に入ったんです。得意なことで勝負したら、負けても納得いきますから。それも誰かが作ったのを描くんじゃなくて、自分で作り出したかった。当時のゲーム業界は若い業界で、一年か二年上の先輩しかいない。それなら若い人の力が使われるじゃないかと思ってカプコンに入ったら、いきなりメインでデザイナーでした。願ったり叶ったりですよ。
ーー海外でも有名な*「ロックマン」のキャラクターデザインですね!それ以降、企画、プロデューサー、エグゼクティブ・プロデューサーと仕事の幅を広げられています。
稲船 「ロックマン」シリーズを作ってくうちに、今度はデザイナーだけではできないことがやりたくなってきた。
ーー私なら仕事している振りをしてしまいそうです。
稲船 で、だんだん絵を描くよりもゲームを作るほうが面白くなってきた。そのうちにゲーム業界にも全体をまとめていくプロデューサーという役割が出てきたから、「やります」と一番に手を上げました。当時はプログラマーや企画からプロデューサーになる人はいたけど、デザイナーからという人はいなかった。地位でいうと、ぼくらデザイナーは下のほうだったんですよ。
ーー部長”待遇”で部長ではない?
稲船 そう。「デザイナーは部長にはなれないから」って。そのとき「何をいってるんだ」と。「絶対なってやる」そう思った。だから企画とかいろんなことをやりつつ、自分のことを企画マンとはいわなかったです。ぼくはデザイナーで、企画もやるしシナリオも書きます、と。どれも絶対にやりたかったから。でも、前例がないからって企画のプロデューサーを一人つけられたんですね。「一人前じゃない」と。屈辱ですよ。でも、「まあ見とけばいいよ」と思って二、三年自分でプロデュースをやりました。
ーーご自分で結果を出して前例を作ったわけですね。
稲船 今はデザイナー出身のプロデューサーもたくさんいますし、サウンドクリエイター出身のプロデューサーもいます。一応、ぼくが道を作りました。デザイナーとプロデューサーは単に仕事の内容だけじゃなくて地位も違います。地位の向上は自分でやるしかありませんでした。ほっといても嘆いても、誰かが先にやってくれることはなかった。自分が先頭を歩いて手を血まみれにして草を刈って道をつくる。ぼくはいつもそうです。で、みんなは後からその道を悠々と歩いてくる。でも、自分のためでもみんなのためでもあるから、今もやっていますよ。
ーー海外の開発会社との連携や海外市場へのアピールでも道を作っていますね。
稲船 大間違いですよ! そんなの。国際的にモノを考えるために必要なのは、英語力ですか? 違う。語学じゃない。要は海外を理解することです。ぼくはカプコンにいる外国人にも「稲船さんほどアメリカ人を理解している日本人はいない」といわれます。英語で直接コミュニケーション取ったって理解できてない人はいっぱいいる。でも、言葉なんか通じなくたって心は通じあいます。ぼくの思いを日本語でしゃべったって、ホンモノかニセモノかなんて分かる。だから、ただ通訳してもらえればいいだけです。逆に英語がしゃべれるっていうことで安心してしまうほうがよくないんじゃないかな。
ーー語学に甘えず、もっと深いコミュニケーションをする。
稲船 ぼくは割り切っています。英語は覚えない!勉強しない!英語を勉強する時間にやらなきゃいけないことが他にもっといっぱいある。もっとクリエイティブな勉強をする。ぼくの得意はそこです。
*ロックマン
戦闘用ロボット「ロックマン」が、倒したライバルの能力を手に入れて悪の野望を打ち砕くアクションゲーム。ロックマンX、ロックマンDASH、ロックマンエグゼなども生みだし総計2800万本の売り上げを誇る人気シリーズ。海外でも人気が高く、最新作「メガマン ユニバース」(メガマンはロックマンの海外版での名前)はアメリカのカリフォルニア州サンディエゴで開催されたコミコンで最初に発表された。
「ロックマン」
新人時代から自分で道を切り開くことを選び続けてきた稲船さん。次回は海外に出て見えた日本との差から初監督ゾンビ映画の「屍病汚染 DEAD RISING」へと、徐々にゾンビの話にシフトしていきます!
Part2はこちら(tk_zombie)
稲船敬二
いなふね・けいじ 1965年生。