10月16日から公開中のシネマ歌舞伎、「大江戸りびんぐでっど」でまた新しいゾンビを見た。

シネマ歌舞伎はHDカメラで撮影した舞台公演をスクリーンでデジタル上映するという、要するに歌舞伎の映画で、今回公開されているのは 2009 年 12 月に歌舞伎座で上演していた舞台公演を撮影したものだ。
実はそのときに一度観ていたのだが、今ひとつ分かってなかった。

出だしから登場する魚の開きの着ぐるみや、「マジで?」「かわいいかもぉ~」と現代語で話すお奉行様や、血糊や内臓をチラ見させつつ色とりどりの衣装で踊るぞんびたちに気を取られていたのと、やはり歌舞伎座というアウェイ感にビビっていたらしい。でも、今回映画館でじっくり再見してようやく理解した。宮藤官九郎がやってくれた!これは「ショーン・オブ・ザ・デッド」「デッドライジング2」をさらに進めた実験作だ!

「大江戸りびんぐでっど」のゾンビは、くさや汁から生まれる。くさや作りの名人、新吉のくさや汁がかかった死体が突然動き出したのだ。とても臭くて「鼻の存続が危ぶまれるから」存鼻(ぞんび)と呼ばれる動く死体は、襲った人間もぞんびに変える。
どんどん数を増やして品川の遊郭を襲い女郎や客を喰い殺すが、たちまち捕まって奉行所に連行、火あぶりにされかける。

そこに主人公の半助が割って入ってぞんびをかばう。「しゃべれはしねえが、話は分かる。心根は優しいやつらだ。死んでんだから金銭感覚もありやせん。どうでしょう、人が嫌がる仕事や重労働をさせるってのは?」半助もくさや職人だが、つくったくさやは野良猫でも返しにくるような半人前。
食いつめて困り果てていた。

そこで、ぞんびの元になったくさや汁を作ったのは自分です、だから責任取って低賃金で働かせます、とでまかせをかます。お奉行様は少し悩んでから言い渡す。「自分の意思で生きられないのであれば、我々が活かしてやるほかない! おまえたちをはけんと呼ぶ! はけんとして人間のために働くのだ!」(ぞんびたちは「おれたちゃはけん、ぞんびじゃねえぞ、はけんだぞー」と踊り出す)

ゾンビを働かせる、というアイデアは「ショーン・オブ・ザ・デッド」「ゾンビーノ」でもあった。一時の混乱が終わって人間に制圧されたゾンビは、人間社会に組み込まれて単純作業に回される。「大江戸りびんぐでっど」はさらに先に進む。
ぞんびが仕事や社内研修を通じてどんどん知恵をつけていくのだ。流暢にしゃべる。冗談も言う。「読み書きやってんだ! いつまでもあーうーうなってるだけだと思うなよ!」とタンカも切る。さらに生前の記憶もあるから、人間との境目がどんどんあいまいになっていく。

こうなると敵でないのがかえって恐ろしい。
敵味方で区別できればシンプルだったのに、もう敵じゃないから別の理由を考えなきゃいけない。どこにも違いが無いのなら、もう安値でこきつかえない。「死んでるから」「魂が無いから」「意識が無いから」ムリにひねり出しても、仕事を通じて金銭がからんでいるからすぐに限界がやってくる。

ぞんびが低賃金で働くうちに人間の仕事が無くなって、職人が難癖をつける。「死んでるはけんばかり景気がよくて、生きてる人間が割りくっちまってら!」ぞんびが言い返す。「同じ賃金で文句いわず働いてみなよ!」そう、違いが無くなってもぞんびを人間に引き上げられないなら、人間がぞんびに引きずり下ろされる。
得意のでまかせでぞんびを騙して上前をはねてきた半助も、ぞんびと自分にほんの少しの違いもないことを突きつけられてキレる。

「この死に損ないが! 俺はハナからお前達のことなんか信用しちゃあいなかったんだよ! お前らのことが大嫌ェだったんだ!」最後まで追い詰められたらこれしかない。俺はお前が嫌いだからこきつかってたんだ!

終盤、ぞんびがあふれかえる混乱の中で、半助は「俺はもう迷わねえぞ! 俺は俺の大事な人を助ける!」と再びでまかせでぞんびを騙して、愛する女房を助け出す。うごめくぞんびたちの頭上で寄り添う二人。ハッピーエンド。しかし半助とぞんびを隔てるものはもう無い。
いつ転落してもおかしくない。

ゾンビが知恵をつけていくとどうなるかずっと興味があったけど、思ったよりややこしくなりそうで大変良かった。こういうややこしい問題をもっとたくさんみてみたい。宮藤さん今後も宜しくお願いします。(tk_zombie)