問題:慶長8年(1603年)、後の徳川ご三家のひとつ、水戸徳川家の初代・頼房が生まれましたが、長男の信康からこの頼房まで、家康公には何人の男の子がいたでしょうか?
(1)3人 (2)9人 (3)11人 (4)16人

マークシートを前に鉛筆を持つ手を止めたのは私だけであろうか……。

これは、今年の9月26日に行われた第1回「岡崎 家康公検定」からの一問。
愛知県岡崎市の観光振興の一環として開かれた、いわゆるご当地検定だ。その開催を知り、私も個人的に受験することに。

かつては全国的に盛り上がっていたご当地検定ブームも、気づけばすでに下火。 そんな中、新たなご当地検定を企画した主催者側には苦労もあったそう。

「どうやったら魅力ある検定になるだろうか、というのが課題でした。岡崎が生んだ偉人、徳川家康に焦点を絞ることで歴史的な興味を引くように工夫しました」(岡崎市役所観光課)

その狙い通り、北は福島、南は熊本まで、全国から700名を越える人が、第1回「岡崎 家康公検定」を受験。当日は岡崎市内の試験会場で、緊張と興奮の中、鉛筆を走らせた。

出題された全100問は、人質生活や家族との別れなど、波瀾万丈の家康の生い立ちにまつわるものが多く、市販の伝記マンガなどを読めば大半はフォロー可能。しかし、中には先程紹介したような、“コア”な問題も存在し、そう簡単には満点獲得できない。

「今回の満点合格者三名には、問題を監修した徳川記念財団・徳川恒孝氏から特別表彰が与えられました」

徳川宗家から直々に表彰が! 満点の価値ある、なんとも名誉なご褒美が待っているのだ。私は85点で検定には受かったものの、表彰の栄誉は得られなかった。

今回、試験会場で印象的だったのは、受験者が小学生から大人(最高齢は84歳)まで実に幅広い年齢層だったこと。
辛い境遇にめげず、天下を勝ち取った家康は世代を越えてロマンを与えてくれる存在なのかもしれない。

ちなみに冒頭の問題の答えは(3)11人。

特設ページでは全100問と解答を見ることができる。腕に覚えのある者はチャレンジしてみてはいかがかな!?
(銀座箱アレン)
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