先月1月21日。歌手、声優の水樹奈々さんが自身の誕生日に、初の自叙伝『深愛』を出版した。

今まで語られていなかった「深愛」というタイトルに込められた想い。
お父さんのスパルタ教育、上京してから水樹さんがデビューするまでを中心に記した1冊だ。(エキサイトレビューの『深愛』レビューはコチラ

レビューをきっかけに、エキサイトレビューは水樹さんに『深愛』のさらに深い事情をインタビューする機会をいただいた。


ありのまま事実を伝えたかった

――自叙伝『深愛』を出版するきっかけはなんだったのでしょう。
水樹 最初は、私なんかが本を出していいのかと迷っていました。まだ31歳。
本にして何を伝えられるのかと。
――そこまで積極的ではなかったんですね。
水樹 はい。ちょうど去年、歌手デビュー10周年を迎え、これまでの活動を振り返ったり、これから先のことを改めて考える機会がとても多くあって。その中で、10年というひとつの節目に何か形にして残せたらと、前向きに本について考えられるようになり、いろいろな人に相談して、出すことを決めました。
――時間がかかったんですね。
制作期間はどのくらいですか?
水樹 2009年の秋から年末にかけてスタートしたので、約1年半くらいですね。
――ファンの方たちは、本を読んで初めて知る事実も多かったと思います。どのような反応がありました?
水樹 アンケートハガキや私のブログ宛にたくさんのみなさんから感想をいただきました。思わず涙してしまうような熱いコメントばかりで……本当に感激しました! 「夢を目指してがんばります!!」というメッセージもとても多くて、みなさんの背中を押すパワーになれたことが、本当に嬉しかったです。
――感想を聞くまでは不安だったり。
水樹 文字は表情や声色が伝わらずクールな印象になりがちなので、ちょっとしたニュアンスで誤解を生みやすいもの。
真意がちゃんと伝わるのか……。みなさんの手元に届くまでとても不安でした。
――シングル「深愛」は、亡くなったお父さんのことを思って作った曲と書いてありました。それは『深愛』で初めて発表したんですよね。
水樹 むやみに人に話すことではないと思っていたので、そっと自分のなかに留めておこうと思っていました。でも、本を書くと決めたときに、ありのまま事実を伝えたかったので、初めて言葉にしました。

――時間が経った今だから、文字だからこそ伝えられたということはありますか?
水樹 レコーディングは2008年11月の頭。父が亡くなった1週間後に行いました。みんなに心配をかけたくないという気持ちと、フラットな気持ちで曲を聴いてほしいという想いから、今まで伏せていました。色々なタイミングが重なって、この本で素直に言葉にすることができたと思います。


そういう人に惹かれる

――水樹さんが主役をつとめたアニメ「ハートキャッチプリキュア!」の劇場版「映画 ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?」は、お父さんとの関係性がテーマになっていました。
水樹 子どもは親の背中を見て育つんだな、と改めてこの作品から感じました。
言葉だけがすべてじゃない。言葉を多く発しなくても、ちゃんと伝わっていて……。ああ、すごくわかるなあと。
――まさに水樹さんとお父さんとの関係ですよね。
水樹 はい。とても厳しい父で、会話が多いわけではなかったけれど、空気から伝わるものがあって……。
中学を卒業してすぐ離れて暮らし、なかなか会えなくても、その意志はしっかりと私の中にあって。今もすぐそばで、見守っていてくれているんだと思います。
――まるで理想の男性のような。
水樹 そうですね、でもお父さんみたいな人と結婚したら大変ですよ(笑)。でも、私はきっとそういう人に惹かれるんだと思います(笑)。
――お母さんからも、やめたほうがいいよと言われたり。
水樹 言われますね。本にも書きましたけど、〈やっぱり、ちゃんと尽くしてくれる人がいいわよ〉ってずっと言っています(笑)。でもお母さんは生まれ変わってもまたお父さんと恋に落ちるだろうなと思います。
――作中では恋愛観も語られていますね。もうすぐバレンタインデーですけど、チョコレートを渡すご予定は?
水樹 あはは。特定の人にあげる予定は残念ながら……、でも毎年手作りのチョコレートをスタッフのみなさんに渡しています。去年はライブの初日(アニメロミックスPresents NANA MIZUKI LIVE ACADEMY 2010 Powered by Windows7 mania Office)だったので、朝方までかかって70個ほど作りました(笑)。イベントごとが大好きなので、一人で盛り上がっちゃいますね(笑)。今年ももちろん作ります!
――小中学生のころは、お父さんにチョコレートをあげたりも?
水樹 もちろんです!
――そのときのお父さんの反応というのは。
水樹 「おお、ありがとう……」って、反応は薄めです(笑)。
――すごい嬉しいんでしょうね。
水樹 笑顔で受け取ってもらったことがあまりなくて(笑)。照れ屋さんなのか、今流行りのツンデレ男子ですよね(笑)。お父さんはお酒が弱いくせに大好きだったので、絶対にウイスキーボンボンをプレゼントしていました。
――おお、食べている姿を見たりは?
水樹 夜の晩酌のときに食べてくれていて、嬉しかったですね。
――お父さんに対して色々な想いがあったと思うんですけど、書くという行為をとおして初めて発見されたことはありました?
水樹 大好きという気持ちと、自分では普通だと思っていたことが、意外とそうではなかったということです(笑)。


愛媛に生まれてよかった

〈義歯を削るドリルにも粉塵を吸い込むバキュームにも、それらの機械を動かすためのコンプレッサーの轟音にも負けないように歌わなければならなかった〉。
〈そんな過酷なレッスンは、五歳から中学を卒業するまで毎日続いた〉。(『深愛』17P)

――思い返すとすごいスパルタだなという。お父さんが決めた「演歌歌手になる夢」から逃げ出したいことはなかったんでしょうか?
水樹 不思議とありませんでした。私も歌が大好きだったので。絶対になるんだという、根拠のない自信と(笑)、強い信念があって……。そこは絶対にぶれたことがないですね。たまに、レッスンを休みたいな、友達と遊びたいなとは思いましたけど、お父さんに一喝されると、そんな気持ちは吹き飛びました(笑)。
――お父さんの存在はなによりも大きかったんですね。
水樹 かなり厳しかったと思います(笑)。でも今は本当に感謝しています。あとは、土地柄、誘惑が少なかったのもあるかもしれないですね。東京だと、目移りするものがたくさんあるじゃないですか(笑)。改めて、愛媛に生まれてよかったと思います(笑)。
――学校帰りにマクドナルドに行くのが憧れとありましたね。反抗期はなかったんですか?
水樹 ほとんどありませんでした。やっぱりお父さんが怖かったからかも。門限を少しでも過ぎると、平手打ちが飛んできて。だから、絶対に逆らえない! と思ってました(笑)。家に入れてもらえないかもしれないですから!
――ああ、周りにお店がなくて暗いんですね。
水樹 夜は真っ暗です(笑)。思春期で、親への反発が生まれてくるころ、ちょうど上京していたことも大きかったです。家事の大変さや、働いて収入を得ることの大変さ……、親の大切さを早くに知ることができて幸せでした。
――一人暮らししてからありがたみがわかりますよね。毎日ごはんを作るのがこんなに大変なのか、とか。
水樹 テスト期間中でも自分でごはんを作ったり、掃除や洗濯をしなきゃいけないなんて……と。今まで本当に甘えていたんだなあと実感しました。それを高校生のうちから学べて、私は幸せだったと思います。
――親元を離れて一番苦労したところは?
水樹 お金のやり繰りですね。風邪なんて引いたら、薬代がもったいない! って予防をしっかりするようになったり。
――学校指定の靴下が高くて買えないから、縫いあわせて補強していくエピソードも。
水樹 今なら笑い話に出来ますけど、当時はものすごく恥ずかしくて(笑)。
――10代の女の子ですもんね。
水樹 体育の着替えとか、見られたくないからサッと脱いでいました(笑)。

〈厄介なのは踵のすり切れだ。ここはかがり縫いができないので、フェルトで当て布をしてしのいでいた〉。(『深愛』70P)


まだまだ続く『深愛』インタビュー。
後編は、紅白の話も出てきてまだまだ盛り上がりますよ。