本日、2月18日金曜日は、第144回芥川・直木賞の授賞式がある日だ。夜のニュースで中継映像が流されるか、みんなチェックしてみよう。

中でも気になるのが、西村賢太だ。受賞者のスピーチで何を言うんだろう。いきなり細川たかし「心のこり」を歌いだした諏訪哲史(第137回『アサッテの人』で受賞。その前の群像新人文学賞の授賞式のときは、八代亜紀「舟唄」を歌ったらしい)ぐらいのインパクトを残してもらいたいものである。「アッコにおまかせ」で和田アキ子に叱られるぐらいの蛮行に出てくれるといいのにナ!
さて、普段小説にあまり関心がない人は、この西村賢太という大柄な男が芥川賞を獲ったことが、なぜそんなに騒がれているのか不思議に思っているのではないかと推測する。たしかに同時受賞者の朝吹真理子(『きことわ』で受賞)と並んだところは、「美女と野獣」と呼ばれるのにふさわしい絵面だったけど。


受賞作『苦役列車』の奥付プロフィールを一部引用すると、「1967(昭和42)年7月、東京都江戸川区生れ。中卒。2007(平成19)年「暗渠の宿」で野間文芸新人賞を受賞。刊行準備中の『藤澤清造全集』(全五巻別館二)を個人編輯」とある。ここで書かれていないことは、西村が現在では少数派になった私小説の書き手であり、自分自身の分身ともいえる北町貫多という人物を主人公とした連作を書き続けているということだ。フィクションならではの嘘はもちろんあるはずなのだが、北町貫多が西村賢太という作家のオフィシャル・イメージ・キャラクターになっていることは間違いない。


じゃあ、北町貫多ってどういうキャラクターなんだろう。西村小説初心者のために、箇条書きでポイントを紹介しよう。題して「北町貫多7大ひみつ」――。


■ひみつその1! 北町貫多は目標がないゾ

芥川賞を受賞した「苦役列車」は、北町貫多が東京・昭和島の羽田沖にある、冷蔵物流倉庫で日銭を稼ぐ日々を送った10代のころを書いた作品だ。日雇いの彼に任されたのは、冷凍されたタコとかイカを積み下ろしするだけの簡単なお仕事。その仕事を通じて自己実現を図ろうとか、そういう余計な気持ちは皆無だ。

〈――ともかくあすこに行って数時間、牛馬のようにこき使われれば、夜には日当を得て、その中から千円だけ安ソープランドにゆく為の積立て貯金にとっておく他は、残りの金でまともな飯を腹一杯に食べて取りあえず酒も飲める〉
わあい。まるで動物のようなものの考え方だね!


■ひみつその2! 北町貫多は信頼を裏切るゾ

こうやっていろいろなところで働いている貫多だけど、根が怠け者なものですぐに仕事をサボるし、宵越しの金は持たないというか、目の前の金をすぐ遣ってしまう享楽的な性格をしているものだから、いつも家賃を溜めてしまい、下宿を追い出されてしまう憂き目に遭うんだ。ソープランドに行くお金は貯められるのに、変だなあ。
第3作品集の『二度はゆけぬ町の地図』には、そんな貫多の、人を人とも思えぬ態度のせいで味わった挫折のお話がいっぱい詰まっている。「貧窶の沼」で貫多は、履歴書も持たずにある酒屋に飛び込み、気のいい主人に雇ってもらうんだけど、たちまち問題を起こして辞めてしまうんだ。そのきっかけというのが貫多の足が臭くて、配達先の家から苦情が来たことだというから呆れるね。
だってご主人によれば〈きみの、靴をぬいだ足が臭くて、なんだかその家の中を通ったあとが気持ち悪いから、玄関から台所まで雑巾で水拭きまでした〉そうなんだ。それを聞かされた貫多は、雇ってもらった恩も忘れてご主人にブチ切れるよ。下克上ってこういうことを言うんだね!


■ひみつその3! 北町貫多は嫉妬深いゾ

北町貫多のネガティブパワーは、大家とか雇い主とか、目上の人にばかり向けられるんじゃないんだ。もちろん同世代の、自分よりいい思いをしている人間のことは大嫌いだ。『苦役列車』でも、自分と同じ年の男が、親の金で上京して専門学校に入り、女子学生と交際して青春を謳歌しているのを激しく妬むんだ。〈畜生。
山だしの専門学校生の分際で、いっぱし若者気取りの青春を謳歌しやがって。当然の日常茶飯事でもあるみてえに、さかりのついた雌学生にさんざロハでブチ込みやがって〉だって。ここまで本音丸出しのトークだと、いっそすがすがしいね!


■ひみつその4! 北町貫多は短気でKYだゾ

北町貫多のよくないところは、腹の中で思うだけじゃなくて、頭にきちゃうと止まらなくなって、何もそこまで、というぐらい相手を罵ったり、物を破壊したりして、せっかく築き上げた人間関係を駄目にしてしまうことだ。しかも悪いのはたいがい貫多で、頭にくるのも自分のせいなんだ。「二十三夜」(『人もいない春』)では行きつけの喫茶店のアルバイトの女の子に一目惚れして、旅行のお土産のお菓子を渡すぐらいで止めておけばいいのに、高価なビール券の束まで押しつけて、こんなものはもらえないから、と付き返されるんだ。紳士的に振舞ったつもりだったのに、残念様! また「貧窶の沼」では、ホテル代がもったいないからといって母親がいないのをいいことに実家に彼女(女子高生。
1980年代の話だから連絡手段は家の電話)を呼び出してセックスをしようとして、失敗してしまうんだ。相手の親に気づかれて、止められてしまったからだね。女子高生のご両親、ナイスプレイ! それで激怒して彼女をなじったあげく、振られてしまうんだ。携帯電話がある時代だったらよかったのに!


■ひみつその5! 北町貫多はDVだゾ

こんな貫多だけど、本当は臆病だから、酒の力でも借りないと思い切ったことはできないんだ。チキンだね。でも遠慮会釈なく、なんでも言える相手もいる。それが、彼女いない歴10年の暗黒時代を経て、ようやく付き合うことのできた彼女の秋恵さんなんだ。秋絵さんのいいところは大学出で貫多の学歴コンプレックスを満足させてくれることと、あまり賢太に口ごたえしないこと。なにしろ貫多は〈子供の頃より同級生の女性を苛めるのを好み、母子家庭で過ごした中学時代には母と姉にしばしば手も上げ、二十四歳時までに交際した都合四人の女性とも、その別れの因となったのは、そのうちの三人までが彼の暴言と暴力によるものだった〉(『人もいない春』所収「乞食の糧途」)というようなフェミニズムなんて言説には洟もひっかけないような、しっかりした自分というものを持った男性なんだ。男らしいね!


■ひみつその6 北町貫多は文学青年だゾ

こんな野獣のようなたくましいオーラを漂わせた貫多だけど、実は彼の趣味は文学なんだ。藤澤清造という、大正時代の私小説作家に私淑して、彼の没後弟子を称しているくらい。藤澤清造は女にもらった性病が遠因で、酔っ払ったあげくに野宿をして凍死するという悲惨な死に方をした人なんだけど、遺族もない彼の位牌を引き取って、能登半島の七尾にある菩提寺に通い、月命日の供養をしているほど、貫多は清造に心酔しているんだ。いつかは彼の個人全集を自費出版するのが夢で、こつこつお金も貯めているんだよ。そのうちの300万円は、なんと秋恵さんのお父さんから借金したそうなんだ。貫多の夢に、お父さんもまいっちゃったんだね。きっとその300万円は戻ってこないよ!


■ひみつその7 北町貫多はぼくって言うゾ

文学青年だから、一人称は「ぼく」だし、インフェリオリティコンプレックスとか「慊い(あきたりない、と読むよ。それで十分だと思うことができない、という意味だ)」とか、難しい言葉遣いをいっぱいするんだ。人を罵るときも一人称は「ぼく」だし、町で喧嘩をして警官に取り押さえられたときも、「ぼく」だ。
〈痛い、痛いっ、離して! ぼくは被害者の方なんだっ〉(『二度はゆけぬ町の地図』所収「春は青いバスに乗って」)
……な、なんだか、ちょっと情けないね。

こんな具合だ。ここには書かなかったけど、お父さんが性犯罪者になってそのせいで一家が離散したとか、お母さんに暴力を働いたり金を巻き上げたりしたせいで音信不通になってしまっているとか、貫多にはまだまだたくさんのひみつがある。ここに紹介したのは、ほんのその一部にすぎないのだ。みんなも『苦役列車』などの本を読んで、北町貫多のいいことさがし(from『少女ポリアンナ』をしてみよう。
え? こんな自分勝手で卑怯で性欲剥き出しで貧乏で優しさのかけらもない人が出てくる本を読むのはいやだって? 君の気持ちはわかる(民主主義に基づく対話法)。でも、私小説っていうのは、本来こういうふうに自分の中にある醜いもの、情けないものに向かい、眼を背けずにフィクションの題材として採り上げるところから始まる文学ジャンルだと思うんだ。北町貫多のようなことを思いながら、顔には出さずにきれいごとばかりを並べている作家の小説に比べたら、まだ北町貫多のシリーズのほうが作品として好感を持てるんじゃないかな。そういう姿勢を崩さずに小説を書ききったという点では、作者を尊敬できる。この人とお友達になりたいとは、まったく思わないけどね!(杉江松恋)