この先、ストーリーの核心について触れるのは避けるけれど、僕は「ニーア」に仕掛けられた、ある「前代未聞の仕掛け」について語ります。もう1年も前のゲームとは言え、少しでもネタバレはイヤだ! という人はご注意ください。
ーーでは、続きです。
その時、僕に突きつけられた選択肢は、次のようなものだった。
「この選択肢を選ぶと、全ての●●●●●●が●●されます。本当に、よろしいですか?」
べつにメモリーカードの容量が足りなくなったわけでもないし、何か手違いでデータが壊れちゃったわけでもない。実際ゲームの中にそういう選択肢が出てくるのだ。それもよりによって物語の終盤、とんでもないところで!
その時点で、プレイ時間は100時間超。全パターンのエンディングを制覇するため、ゲームは3周目に突入していた。もし僕がここで「はい」を押せば、それまでコツコツと積み重ねてきた100時間超が一瞬で水泡に帰すことになる。最初は悪趣味なジョークかと思ったけど、どうやら本気らしい。
それがどんな場面で、どういう経緯で出てきたのかは伏せるけれど、少なくともその選択肢はちゃんとストーリー上意味があるものだった。
もっとひどいのは、どう見てもこの二つの選択肢が釣り合っていないということだ。「はい」を選んで得られるものは本当にわずかで、失うものはそれとは比較にならないほど大きい。むしろ「いいえ」を選んだ方が、僕も主人公も間違いなくハッピーだったりする。ここで「いいえ」を押しても、誰もあなたを責めませんよ、と耳元で悪魔がささやく。
結局、そのとき僕はついに「はい」を選べなかった。たぶん同じ状況だったら、100人中100人が同じく「いいえ」を選んだと思うし、間違いなくそれは正しい選択だった。でも、かわりに僕の胸にはぽっかりと穴が空いた。じゃあ、どうすればよかったんだよ!
ーーその後、どうしてもあの「はい」の続きが見たかった僕は、それからゲームをさらにもう一周して、もう一度同じシーンまで戻ってきた。
「この選択肢を選ぶと、全ての●●●●●●が●●されます。本当に、よろしいですか?」
前と同じ展開。
どんなにゲームが進化しても、どんなに映像がリアルになっても、プレイヤーとゲームの間には埋めようのない溝が横たわっている。ゲームのキャラクターがどんなに傷ついたって、プレイヤーが同じ痛みを感じることはない。だけどその瞬間、たしかに僕の胸は「痛み」を感じていた。プレイヤーの胸をえぐるように、ゆっくり、じわじわと行われていく「それ」を見ながら、どうしようもないせつなさと、奇妙な満足感を同時に味わっていた。
記録から記憶へ。それは小説でも映画でもなく、ただひとつ「ゲーム」というメディアだけが表現できた体験だった。
もうすぐゲーム歴30年になる僕だけど、これだからゲームはやめられないのだ。
(池谷勇人)