COMPLEXがライブで復活する」と発表されたとき、多くの人が驚いた。筆者も驚いた。
7月30日(土)と31日(日)に行なわれた東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティーライブ、タイトルは「日本一心」。ところは東京ドーム、21年前の1990年11月8日、COMPLEXが最後のライブを行なった場所だ。

いちおう説明しておくと、COMPLEXとは吉川晃司と元BOOWYの布袋寅泰による2人組ユニットである。1988年12月に結成して大きな話題を呼んだが、シングル2枚、アルバム2枚のみを残して活動休止に至った。活動期間はわずか2年、吉川は自嘲気味に「活動急死」と表現した。

活動休止に至った経緯と理由については、『バンド臨終図巻』(速水健朗、円堂都司昭、栗原裕一郎、成松哲との共著/河出書房新社)に書いたのでそちらをご覧いただきたい。
理由を簡単に言うと吉川と布袋の「目指している音楽性の違い」と「不仲」だった。活動休止ライブの後、布袋は吉川に「一緒にやらなかったら友達でいたよな」と声をかけたという。「日本一心」と銘打つのはいいが、そもそも21年ぶりに再会した2人は“一心”なんだろうか? そんな懸念を抱いていたのは筆者だけではないはずだ。

とにかくチケットを手に入れて、2日目の31日に東京ドームに向かった。会場の外には30~40代と思しきファンがびっしり、東京ドームの中に入れば見事なフルハウス。実に2日間で10万人を動員したらしい。


午後5時、「ワルキューレの騎行」にのせてCOMPLEXの(たった)2年の歩みが映像で綴られる。21年前の映像とあって、さすがに2人とも若くてギラギラでキレキレである。

今回のCOMPLEX復活にあたり、筆者の懸念はもう一つあった。布袋も吉川も第一線バリバリで活躍しているミュージシャンだが、やはり月日が経ちすぎている。特に独特な激しいアクションが売り物だったボーカルの吉川は、毎年コンサートツアーを精力的にこなしたり、仮面ライダースカルとしてアクションを披露したりしていたものの、最近は日本酒にライムを絞って飲んでいる白髪のおじさんという印象が強い。果たしてどんなステージを見せてくれるのだろうか……会場の盛り上がりをよそに心配がよぎる。


「BE MY BABY, BE MY BABY……」。東京ドームに鳴り響く、おなじみ「BE MY BABY」のイントロ。盛り上がる満員の東京ドーム。だだっぴろいステージの両脇にある2台の大型モニターのうち、向かって右のモニターに通路で控える吉川、左のモニターに同じく別の通路で控える布袋の姿が映し出されると、客席から大歓声が沸きあがる。

モニターの中でギターを抱えて微笑を浮かべている布袋に対し、吉川の表情はかなり険しい。しかし驚いたのは吉川がとにかく“仕上げてきた”こと。
白髪は銀色に染め上げ、顔も身体もシャープに引き締まっている。サムライロックとはまるで別人だ。“大人の風格”とか“貫禄”とか“余裕”みたいなものをすべて投げ捨ててきたような佇まいのように見えた。

「BE MY BABY」のイントロが鳴り続ける中、ステージの両端から姿を現す2人。左端から布袋が、右端から吉川が歩を進める。表情はそれぞれ変わっていない。
布袋は笑顔、吉川は険しいままだ。そしてついにステージ中央で対峙する。ギターを抱えた布袋に向かって、吉川は挑むようにリズムをとる。先に手を差し出したのは布袋のほう、それに握手で応える吉川。そしておもむろに正面を向き、布袋がギターをジャーンとかき鳴らして吉川が歌い始める――。BE MY BABY! 曲のラストでは吉川が頭上2メートルの位置に掲げられたシンバルを回し蹴りでヒットさせる得意の“シンバルキック”を披露。
握手をかわした2人の息も合っていたし、何よりよく動いていた。筆者が抱えていた2つの懸念をわずか数分で雲散霧消させる見事なオープニング。もう心配はいらない。あとは楽しむだけだ。

吉川は腰をくねらせながら歌い上げ、布袋は片足をピョコピョコ上げながらギターを弾きまくる。「PRETTY DOLL」「CRASH COMPLEXION」「NO MORE LIES」……。あとから気付いたが、これは21年前の東京ドームライブとまったく同じセットリストだった。小手先の策を弄さない直球勝負であり、2人が21年前とまったく同じ姿、いやそれ以上のものを観客に見せられるかどうか挑戦しているようでもあった。

「俺らの関係性って、ステージの上で仲良く手をつないでにっこり笑うということではない(笑)。歌とギター、それぞれ違う戦う術を持ったもの同士がステージに立って、全力でぶつかっていく。それだけですよね。変な理屈やプライドとか、言ってる場合じゃない」(『DI:GA』Vol.188より)。そんな吉川の言葉のとおり、ギターとボーカルの激しいバトルがステージで繰り広げられていく。余計なMCもなければ、無理やりな盛り上げのための仕掛けもない。シンプルながら、熱いステージだ。人気ナンバーの「恋をとめないで」では観客5万人がひとつになって合唱し、エンディングの「MAJESTIC BABY」ではさすがにバテてているように見えた吉川だが、最後まで歌い抜いた。だが、もちろんこれで終わりではない。

アンコールの1曲目は「1990」。この曲はCOMPLEXがすでに空中分解していた頃にリリースされた2枚目のシングル曲だ。これは筆者の解釈だが――この曲の歌詞はCOMPLEX存続を望む吉川の想いそのものだったのではないだろうか。バンドをやりたいと考えていた吉川と、BOOWYを解散させたばかりでもうバンドはやらないと考えていた布袋。ひたすらロックをやりたいと考えていた吉川と、歌謡曲出身の吉川と組むことで何かができると考えていた布袋。スタートの立ち位置も違えば、求める音楽性も違った2人。

「欲しい物も憧れも はじめから違うから 求め続けて 探し続けて行こう」「交わす言葉も凍りつく いじけた都会でも 二人ならうまくやれるさ きっとやれる」……。

「1990」を歌い終わった後、吉川は明らかに泣いていた。筆者だけでなく、モニターを見ていた観客の何割かはそのことに気付いていたと思う。

東日本大震災の直後、石巻市で匿名のボランティアとして数週間も汗を流した吉川にとって、被災地の復興は何よりも大きなテーマだった。チャリティーライブを思い立って布袋に声をかけ、布袋も「断る理由は何もない」とそれに応えた。きっとこの間、吉川に余計な打算など何もなかっただろう。「変な理屈やプライドとか、言ってる場合じゃない」という言葉のとおりだ。しかし、「1990」を歌い終わった瞬間だけは、吉川が21年間抱え続けていた布袋への想い、COMPLEXへの想いが溢れてしまったのではないだろうか。

年齢もバンドとしての実績も自分を上回り、COMPLEXをサウンド面でリードしていた布袋のことを、活動休止後も吉川が意識しなかったわけがない。ドキュメンタリー「日本一心 吉川晃司、忘れない夏~COMPLEX復活への想い」日本テレビ)の映像を見ると、ライブ前にリハーサルスタジオで久々の再会を果たしたとき、後からやってきた布袋を吉川は座ったままで出迎えている。吉川が布袋のことを強く意識していたことを象徴するシーンだったと思う。一方で、スタジオに向かう吉川の表情には嬉しさを隠しきれない様子がよく表れていた。これもまた偽らざる気持ちだろう。結成前、2人は同じマンションに住み、まるで兄弟のような間柄だったという。

COMPLEX復活に期待する大観衆にはもちろんのこと、布袋の前で無様な姿は見せられない。だからこそ吉川は見事に“仕上げてきた”し、21年前と同じセットリストを2日間にわたって歌いきった。「1990」の歌詞の最後は、「ほどけた靴紐をむすんで 振り向かずに歩いてゆく」である。21年の歳月を経て、ようやく靴紐を結ぶことができたわけだ。

2回目のアンコール、ライブ最後の曲「AFTER THE RAIN」を歌い終えた吉川に、布袋はハグで応えた。また涙を浮かべる吉川と、笑顔で吉川を称える布袋。被災地への想いがいろいろ浮かんできて――と吉川はライブ後に語っていたが、2日目のラストに見せたこの涙にはCOMPLEX活動休止から21年分のさまざまな気持ちにカタをつけた吉川の、一種の安堵に近い感情が混じっていたのではないだろうか。

型破りの2人が思うさま暴れまくるのを見るのがCOMPLEXの大きな楽しみのひとつだが、こうした吉川と布袋の関係を眺めるのもCOMPLEXのもうひとつの楽しみだと思う。東京ドームライブの模様はDVDでも発売されるそうなので、当日見られなかった方はぜひそちらでチェックしてほしい。
(大山くまお)