第146回芥川賞は円城塔「道化師の蝶」、田中慎弥「共喰い」、同直木賞は葉室麟『蜩ノ記』がそれぞれ受賞を果たした。円城塔は3回目、田中慎弥と葉室麟は5回目の候補での栄冠獲得である。
おめでとうございます。特に「道化師の蝶」は、筆者にとって心の受賞作でもあった。なんだかわが子が表彰状を貰ったような気分です。嬉しいな。

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受賞者の記者会見の模様と、全候補作についての解説が昨日のニコニコ生放送で放映された。司会は井上トシユキ、解説者は栗原裕一郎・ペリー荻野の各氏だ。
ご覧になった方も多いと思うが(タイムシフト予約で今から観られる人は楽しみにしておいてください)、栗原裕一郎氏による芥川賞解説がすばらしいものだった。あれ、恒例にしてそのうち本にまとめてくれないかな。特に「七月のばか」「道化師の蝶」の両作についての読み込みが深く、たいへん感心させられた。「道化師の蝶」のあらすじを説明しながら「何を言っているかわからないと思いますが」と何べんも言っていたのが印象に残っている。そうだよなあ、知らない人に「道化師の蝶」について説明するのは大変だよなあ。
記者会見では二番手として登場した田中慎弥がなぜかやさぐれモードで、場の話題をかっさらっていった。
シャーリイ・マクレーンの言葉を引用しながら「せっかくの機会だから辞退してやろうかと思ったが、選考委員がびっくりして都政に支障が出るのも困るのでやめておいた」だの「都知事はおじいさん新党を作ろうとしているそうなので、ぜひそちらに専念してほしい」(いずれも大意)だの言いたい放題で、参集した記者からは「なぜそんなに不機嫌なのか」「待ち会でお酒を飲みすぎたのではないか」「石原都知事をどう思いますか」といった普段では出ないような質問が飛び出す始末。前で理知的に話をした円城塔と最後に地方在住者の歴史作家の気構えを語った葉室麟が必要以上にいい人っぽく見えたのであった。視聴者の田中慎弥幻想は、あれでだいぶ高まったはずだ。

もっとも、田中の受賞作「共喰い」(1月27日に単行本発売予定)は、そうしたキレ芸とは正反対の、丁寧な小説だった。芥川賞の全候補作を紹介したレビューにあらすじを書いたのでそちらを参考にしてもらいたいが、17歳の心象風景と泥河が重ねあわされ、その交点が増えるにしたがって主人公を囲む見えない網が閉じられていくように感じられる。自身の中に芽生えてしまった暴力の衝動が育っていくという不安、その自分の未来像を肉親である父親の上に見てしまうという絶望感、内と外の両面から主人公の心が食い荒らされていくのである。

いわゆる純文学の作品だが、強いサスペンスが備わっており犯罪小説としての関心で読んでもいいというのは前回書いたとおり。第133回の芥川賞受賞者である中村文則に『掏摸』という犯罪小説の傑作があるが、ありようとしてはよく似ている。「共喰い」もそうしたタイプの純文学とジャンル小説の境界を越えた作品なのだ。芥川賞というと何か小難しいもの、という苦手感がある人も「共喰い」を試してみると意外に読みやすくて驚くのではないだろうか。ちなみに、ニコ生で見せたキレ芸のほうに関心を持った人は『実験』を読んでみるといいのではないかと思う。これは呪い節のような小説で、読んでいると田中に睨まれているような気分になる。


わが心の受賞作である「道化師の蝶」(2月21日に単行本発売予定)は、「共喰い」とは対照的に「わからない」小説だ。円城作品を読むと、もっと自分が賢ければ作品をさらに楽しめるはずなのに、ともどかしい気持ちになるが、世の中には「わからないけどおもしろい」というものもあっていいのである(という意味のことを記者会見で作者自身が言ってくれていて救われた気持ちになった)。
これは至言だと思うのであえて紹介するが、ニコニコ生放送の中で栗原裕一郎は円城塔をさして「公理系の異なるリアリスト」という意味のことを言っていた。公理、すなわち世界を成り立たせている原理が異なるものを、円城はリアルな形で描き出そうとしている。ユークリッド幾何学しか学んだことのない人がいきなりトポロジーの問題を出されたら何がなんだかわからないのは当然のことで、そこで自分の知っている世界に引き寄せようとしてはいけないのである。「~みたいな」といった比喩を用いて解釈をしようとした途端に、世界は矮小化されてしまう。
「公理系の違う場所のリアル」は見えなくなってしまうのだ。それよりも「わからないけど凄い」「わからないけどおもしろい」といった態度で素直に「鑑賞」しておいたほうがいい。いつか「そういうことだったのか」と納得する瞬間が来るかもしれないのだし。
記者会見の中で印象的だったのは円城が「道化師の蝶」を最初からすべてをわかっているのではなくて、書きながら考えるようにして書いた、と語っていたことだった。「これはなんだろうと考えてしまう性格」であり「小説を書いていることでのみ考えることができるものについて考えている」とも。小説を読むことは単なる追認の作業ではなく、その中で何事かを生成していく試みだと私は考えているので、円城の言葉は嬉しかった。
良い小説を読むと、頭の中が「考え」でいっぱいになるのです。

直木賞では心の受賞作である『夢違』が残念ながら落選してしまったが、『蜩ノ記』が受賞を果たしたのは当然のことだと思う。これも前に書いたが、エンターテインメントとしての造りが完璧なのである。これから小説を読む人には、ぜひこの作品の良いところを存分に味わってもらいたい。文字量の配分まで完璧な構成だ。
早い人だったら2時間もあればこの小説は読みきることができると思う。その時間のあいだ主人公に共感して嬉しくなったり絶望したり、そうした感情の起伏を味わうことだろう。クライマックスにはちゃんとアクションがあり(あそこは任侠映画でいえば殴りこみの役割に近い場面だ)、それ以外にもきちんと場面ごとの見せ場がある。これってつまり、2時間の映画を観ている感覚なのだ。かっこいい映画を観たあと、なんとなく肩をそびやかして外に出て行きたくなるでしょう。あの感じに近いものを『蜩ノ記』は備えている。戸田秋谷という魅力的な登場人物など、さまざまな美点のある小説だ。人を感動させるに足る内容もある。しかし私がもっとも感心したのは、上に書いたようなプロットの堅牢さだった。この堅固な構成には学べるところが多い。これから小説を書いて何か新人賞に応募しようと考えている人は、『蜩ノ記』を読むといいんじゃないのかな。

いろいろ書いてみたが、作品本位で選ばれたという印象があり、終わってみれば今回の芥川・直木両賞は非常に納得のいく結果に終わった。受賞された三方にはもう一度お祝いの言葉を申し上げたい。おめでとうございます。そしておつかれさま。
あー、おもしろかった。次回の芥川・直木賞でも、できたら全作を読んでレビューしてみたいと思います。よかったらまた読んでくださいね。
(杉江松恋)

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