『なんだかなァ人生』は、漫画家・柳沢きみお、初のエッセイである。

初期は『月とスッポン』『翔んだカップル』などでラブコメの第一人者として知られ、中期以降は『朱に赤』『妻をめとらば』『大市民』といった味のある絵柄にシリアスなストーリーの作風が人気を呼んだ。
テレビドラマ『特命係長・只野仁』の原作者としても広く知られる。
自身が「ライフワークだ」という『大市民』シリーズは、主人公にかなり強く自分の姿を投影した半自伝的なエッセイ漫画だが、いずれは活字でのエッセイを連載してみたいという夢があったそうだ。

柳沢きみおほどの人気作家ならエッセイぐらいどこだって連載させてくれるだろう、と思われるかもしれないが、それは無理な相談だ。だってさあ、全盛期には同時進行で10本ぐらい連載もってたんだよ。コンビニに並んでる漫画雑誌のどれをひらいても柳沢きみおの漫画が載ってるなんて、あの頃は異常(柳沢先生も、それをさせてる出版界も)だったな。

結局、いつの間にか連載の数は減り、『大市民』シリーズも終わることになったのを機に、柳沢は大胆な行動に出る。
四話分のエッセイの見本を書き、いきなり「週刊新潮」編集部にファックスで送りつけたのだ。それが功を奏して見事に連載ワクを勝ち取り、約一年間の連載を経て一冊にまとめられたのが、この『なんだかなァ人生』というわけだ。

本の帯には「漫画家生活40年の栄光、挫折、孤独」そして「破産寸前の日々までを赤裸々に綴る」なんて書いてあって、野次馬的興味もおおいに刺激される。
実際、人気作家を40年も続けて億単位の金を稼いでいたはずのひとが、なぜ破産寸前になったのか、その理由もすべて書かれていて興味深いのだが、この本のいちばんの見所はそこじゃない。スキャンダラスなトピックだけに目を奪われていると、この本の“味”を見落としてしまう。

これは本人も認めているところなのでハッキリ書いちゃうが、柳沢きみおはそんなに絵がうまくはない。
でも、漫画の絵というのは、うまけりゃいいってもんでもない。「物語」と「語り口」と「絵柄」。その3つのバランスがとれていれば、それが個性になる。そういう意味で、柳沢きみおほど個性的な作家はなかなかいない。
そして、活字で書かれたこのエッセイにもまた、他の誰にも出せない個性がある。そこをたっぷりと味わってほしい。


決して上手とは言えない“ですます調”文体で、これまでの生い立ち、日々の生活ぶり、食生活の好み、漫画の仕事のことなどが淡々と語られる。いかにも文章を書き慣れていない感じのぎこちなさがいい。
『大市民』シリーズにもあらわれていた“世間の様々な事柄に対するぼやき”も健在だ。そして、ぼやきが怒りとなり、散々文句を吐き出した5秒後にコロッと話題が変わるところもまた健在。

たとえば、食事に訪れた飲食店で店内BGMのJポップに眉をひそめる。わたしも公共の場所にBGMなんか必要ないと思ってるクチだが、柳沢先生のそれはもっと厳しい。
まるで「拷問」だと嘆く。その拷問に耐えつつ聴いてみても「歌詞が幼稚」で「大人の私には耐えられないレベルの低さ」で「雑音」だと、とにかくひどい言い様だ。
……が、その数行後に突然「回転ずしは実にいい」とくる。安くて簡単で女性や家族連れも気軽に入れるいい場所だ、と。さっきまでの怒りはどこへやらで「内装がどうの、音楽がどうのと、文句を付けてはいけないと反省しました」と素直に謝られちゃった日には、こっちも「参りました」と頭を下げるしかない。これぞ“きみおマジック”だ。


また、あるエッセイでは、散歩の途中で目撃した光景を描写する。柳沢先生が住宅街の狭い道を通り抜けようとしたところに、黒い高級外車が入り込んできた。その先は狭く直角に曲がった坂道。先生が立ち止まって見ていると、車は角を曲がりきれずに立ち往生してしまった。立派な車に乗ってるわりにドライバーは運転技術が未熟なようで、何度ハンドルを切り返しても抜け出せない。そうこうするうちに背後からはどんどん後続車がやって来て、いよいよ道路はフン詰まる。
さあ、どうする!
……と、ここまで興味を引っ張ったところで先生はこう続ける。

「『最後まで見ていたかったなァ』と後ろ髪を引かれる思いで川に出て──」

見ないで散歩の続きに行っちゃったよ!
エッセイのネタとして採り上げてるんだから、その後のオチまで書いてくれんだと普通は思うじゃない? でも、先生はそんな凡人の予想を軽やかにはぐらかす。こういうのが随所に出てきて、じわりじわりと効いてくる。

やっぱり40年間も最前線を走り続けてきて、そのくせ稼ぎをすべて浪費して、莫大な借金を抱え、それをまた全部返してきた人間の書くものはちがうなァ。
(とみさわ昭仁)