大正2(1913)年に生まれ、今日99歳の誕生日を迎えるお菓子がある。
大正2年といえばウッドロー・ウィルソンがアメリカの第28代大統領になり(オバマ大統領は44代)、第15代将軍の徳川慶喜が亡くなった年。
完全に歴史上の年代だ。

同年に生まれた有名人には「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リーや写真家のロバート・キャパ、作家の織田作之助などがいる。

大正、昭和、そして平成を生き抜いてきたそのお菓子は森永製菓の「ミルクキャラメル」

99周年といってもそれはミルクキャラメルの商品名が冠せられてからで、森永製菓では創業当初の1899年からキャラメルの販売をしている。ゆうに100年を上回る実績だ。

グリコがキャラメルの販売を始めたのが1922年。明治製菓は1917年に製造を開始し、1927年には「サイコロキャラメル」を販売し始めているが、いずれにせよ森永のミルクキャラメルは文句なしに日本で一番長い歴史を持つ。

一体どのようにして100年ブランドを築いたのだろうか。

「1899年の創業当初から販売していましたが、当初は全然売れませんでした」

回答してくれたのは森永製菓株式会社のコーポレートコミュニケーション部広報担当の田村和世さん。

創始者の森永太一郎氏がアメリカから持ち帰ったレシピはバターやミルクを多量に使っており当時の日本人には濃厚すぎたのだという。それでも味の改良や包装に工夫を凝らし、人々の間に乳製品が滋養分が高いという意識が高まるのに伴い1913年の6月10日に商品名を「ミルクキャラメル」とした。そして翌1914年にポケットサイズの紙サックに入れてお土産用に発売をしたところ、爆発的な人気になった。


しかしこれ自体はさほど珍しいブランドストーリーというわけでもない。なぜミルクキャラメルはかくも長く愛されているのだろうか。

田村さんは4つの理由を挙げてくれた。第一にパイオニア商品としての伝統と歴史。次に品質に対する信頼感。世代を超えて共有される思い出や情緒的価値。そして斬新な広告キャンペーンと弛まぬマーケティング努力。

ここで広告・マーケティングが挙げられているのは興味深い。メーカーは商品に自信があればある程、広告活動を副次的なものに位置づけがちだが、海外の100年ブランドでも米コカコーラ仏ペリエのように自分たちの行ってきた広告活動に誇りを持っているブランドは少なくない。

森永のミルクキャラメルが長い歴史の中で行ってきた広告活動に誇りを持っていることは同製品サイトの充実した広告ギャラリーからもみてとれる。

往年の名アドマン片岡敏郎氏のもと次々とヒットを生み出し、その後もアールデコのスタイルを取り入れるなどエッジの効いた広告表現を行っていった。

昭和に入るとキャンペーンにも力を入れ、6年には全国を飛行機で横断する広告で話題をさらい、7年から12年まで行われた「キャラメル芸術」キャンペーンでは186万点を超える作品が応募された。


これらの積極的な広告活動が歴史、信頼、情緒的価値と相俟ってロングヒットにつながったのだろう。

そしてそれを象徴するのは黄色い箱の包装だ。現行のパッケージも前述の1914年に登場したもの(下写真参照)からほとんど変更されていない。

森永製品の象徴、エンゼルマークはこれまで6回変更されてきているが、ミルクキャラメルのそれだけは「伝統あるパッケージの重要な要素」(田村さん)として全商品の中で唯一変更されていない。

事ほど左様に、森永自身がミルクキャラメル、そして黄色いパッケージに強いアイデンティティーを感じている。その思いがブランドに推進力を与えているのは間違いない。

来年はいよいよ100周年。ミルクキャラメルはどのようにそのアニバーサリーイヤーを迎えるのだろうか。

「まだ詳細をお知らせできませんが、もちろん100周年ではキャラメル市場を大きく盛り上げていきますので、ご期待ください」(田村さん)

そりゃまだ教えてもらえないか。
1世紀に渡り続いた思いをどのような形で結実させるのか。キャラメルでも頬ばりながら気長に待ちますか。
(鶴賀太郎)
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