「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」「腹を切りたい」。
2010年春のセンバツ甲子園、開星(島根)vs.向陽(和歌山)戦の後の発言である。
開星絶対有利の下馬評を覆し、21世紀枠で出場した向陽高校が見事な大番狂わせを演じた訳だが、その試合内容よりも、敗軍の将・開星高校野々村直通監督の上記の発言が「教師にあるまじき発言」「向陽に失礼!」「21世紀枠を侮辱している」と物議を醸し、野々村氏は監督辞任にまで追い込まれた。後に保護者や高校野球ファン、そして言われた側の向陽高校関係者を中心に8000名の嘆願署名が集まり、翌春より監督に復帰。昨夏の甲子園大会では優勝を果たす日大三高を最後まで苦しめる熱戦を演じ、今年3月の定年退職をもって高校野球監督の一線から退いた。
そんな野々村直通氏が「画家」そして「教育評論家」としての活動を開始。その第一弾としてこのほど初の著作『やくざ監督と呼ばれて』を刊行した。この本がタイトルからもわかる通り、またまた物議を醸しそうなトンデモない内容なのだ。
「末代までの恥」発言の舞台裏はもちろん、鉄拳制裁当たり前の監督生活・教師生活を惜しげもなく吐露している。そんな“やくざ”スタイルだけど美術教師、破天荒過ぎる高校野球監督の実情に迫るべくインタビューに挑んでみた。まずは前編。


【勉強は「強いて」「勉める」こと】
─── 「ボコボコにしてやる」「殺してやる」という単語が連発していて、もの凄い本だなと思いました。この人が3月まで高校教師だったのかぁと(笑)。その発言の根底にある「教育は教師こそ主役」という考えがとても新鮮でした。


野々村 本を読んでいただければ想像できるかと思うんですけど、もうね、赴任した学校の最初の頃なんて学校全体がやさぐれてまして(笑)。そんな学校で生徒に話を聞いてもらおうと思ったら、もう「力」しかないんです。これは理屈じゃないんです。「この先生にはかなわんなぁ」と思ったら、そこからは言うことを聞いてくれるんです。そこから学校の秩序が生まれるんです。

─── 読んでいて、『スクール☆ウォーズ』を何度も連想しました。
あの世界そのものですね。

野々村 ツッパっているような生徒は特に力に敏感なんです。だから、力関係がわかればちゃんと話を聞いてくれる。その上で、教師の方にその子をどうしたいのか、学校はどうあるべきか、という情熱があれば、ちゃんとそれは生徒に伝わっていくんですよ。

─── 教師の臨む姿勢から始まる、ということでの「教師が主役」なんですね。

野々村 そう! それなのに今の教育は「生徒が主役」とか言ってるでしょ。
教師が子どもの顔色伺って「何がしたいの?」なんて聞いてるようじゃ何も生まれないですよ。教師が常に上に立って、生徒が教師を見る。「顔色を見る」というと言葉が悪いですけども、教師を意識しながら学校生活を過ごすのが健全な学校です。

─── では、学級崩壊も教師が主役であれば生まれない?

野々村 絶対に生まれないですね。ゆとりか自由か人権か知らんですけど、何も持たない生徒にいきなり「自由」を与えちゃいかんですよ。教育なんてね、先に生きてきた大人が正しい方向に導いてあげることなんですから。
真剣にやれば、そこには「強制」や「管理」が絶対生まれるんです。これさえキチっとやれば、学級崩壊なんてありえないですよ。甘やかしとったらいかんですよ。勉強は「強いて」「勉める」ことなんです。


【垂直思考と水平思考】
─── 最近「叱る技術」が話題になっています。野々村さんには当たり前のことだと思いますが、それができない先生は何か問題なんでしょうか。


野々村 教師が「今」を求めすぎなんですよ。「今」生徒に好かれようとしている。叱ったら、そりゃ生徒はソッポ向きますよ。でも、何年か先にわかってくれるんだったら、「今」嫌われることも必要じゃないですか。もちろん、褒める教育も必要ですが、褒めてばかりだとそのうち効かなくなるんです。頑張って頑張って結果が出たときに褒められて、はじめて嬉しいんですよ。逆にミスをしたらちゃんと叱る。叱られたことがあるから、褒められて嬉しいんです。褒められ続けたら、褒められることに麻痺してそれ以上成長しなくなります。

─── 叱る技術がない先生は、褒める技術もないということですね。

野々村 人間の感情は相対的だから。怖い先生に呼び出し食らって褒められたら、もう効果倍増でしょ。この使い分けですよ。褒めることの効果を上げるためにも叱らないといけない。毎日ステーキ食ってたらそのうち食べるものなくなるじゃないですか。

─── 「今が良ければ」という発想は教師に限らず誰しもが抱きがちです。

野々村 今の子は生まれた時から食べ物も携帯でも何でもあって、全てが「当たり前」からスタートする。もっと歴史を学ぶ必要がありますよね。ワシは講演でよく「垂直思考と水平思考」という話をするんですが、今の時代みんな「水平思考」ばっかりなんですよ。横一線でまわりと比較して、もっと豊かになりたい、今がよければいいという。だけど、縦軸という、過去と未来をどう捉えるか。過去には感謝して、未来はよりいい国に、よりいい世の中に、というね。

─── 野球部の指導も、その発想だったわけですよね。

野々村 そうです。「お前ら、野球が好きだから今甲子園を目指してやっていると思うけど、野球ができることがどれだけありがたいことかわかるか?」ということは何度も言ってきましたね。そこに気づくと、もっと一生懸命やってくれる。感謝して野球をやる、感謝してご飯を食べる。そういう生徒になってもらいたいなと思ってずっとやってきました。

─── 「感謝」という言葉は本の中でも何度も出てくるキーワードですね。

野々村 ワシはずいぶん前から野球部のモットーを「3K」にしたんです。「キツい・汚い・危険」というマイナスイメージの3Kではなく、ポジティブな3Kで野球部は行こう!と。それが「感謝・歓喜・感動」の3Kです。そして順番も大事なんです。感謝から始まり、感謝しながら頑張ることで必ず喜びが生まれる、これが歓喜。そしてこれを繰り返していくと感動になる。人生は感動するためにある。この順番を間違えちゃいけんのです。最初から感動や歓喜を求めちゃいかん、まずは感謝だと。

─── 選手のインタビューでも「感謝」のフレーズは何度も出てきていたので、ちゃんと浸透しているイメージがあります。

野々村 感謝して、歓喜の野球をして、最後に感動の野球になる。野球部はこの3Kで行くぞ、と。こういうことを毎日しゃべっていると、子ども達にも染み付くんですよね。「感謝です感謝です」と生徒も口癖のように言うようになりましたから。


【高野連っていう組織はおかしいんじゃないか】
─── 「感謝・歓喜・感動」の順番が大事だという話で思い出しましたが、先日行われた野々村さんの講演会で「震災直後のセンバツ大会で、高野連の会長は最初に感動を求めてきた。ちゃんちゃらオカシイ」という発言がありました。あの話とも繋がってきますね。

野々村 そうでしょ。現場の監督、そして選手はもう必死になって頑張ってるんですよ。そのトップに立つ人が「プレーで日本中の人を勇気づける」とか「希望の光になりたい」って言うのはね、どうなんだろう?って思いますよ。勇気を得たり感動したりっていうのは、それを見た人が結果として感じることであって、それを目的にプレーするなんておかしいでしょう。それに引き換え、創志学園の選手宣誓のすばらしかったこと。「命に感謝してプレーする」というフレーズも素晴らしかった!

─── あの宣誓は、まさに野々村さんのおしゃっていることと同じですよね。16年前の阪神大震災に生まれた、という過去からの繋がりにもふれていて、感動的な宣誓でした。

野々村 あの宣誓にはおこがましさがないでしょ。「僕らが頑張るから東北も頑張れ」みたいなバカなことは言ってないんですよ。「僕たちにできることは精一杯頑張ることだけ」、これですよ。その結果として感動が生まれるんです。それをね、被災地がどれだけ大変かもわからずに「被災地の方も大変だろうけど僕らが勇気を与えます」なんてウソだろーって思いますよね。「とにかく野球ができることに感謝して頑張れぃ」と。そのひと言でいいんですよ。それが、教育だろうと。

─── 今、話のあった高野連。一般のファンからしても疑問や不満がありますので、現場にいらっしゃる方はもっと色んな思いを抱えていると思います。でも、現場の人は立場的に何も言えないですよね。一線から引いた野々村さんだからこそ言える、高野連への提言は何かありますか?

野々村 まずね、お金を取っていることです。大会を開く上での、球場使用料だったりの必要最低限の経費をお客さんから頂くのはわかるんですよ。ところが、あれだけ「プロ野球と接触するな」とか「金と絡むな」と言っておいて、自分たちは金儲けしてる訳ですよ。これがまず偽善ですよね。しかも、「アマチュアで純粋な、汗と涙の高校野球」とか言っておいて、甲子園でビール売ってるんですよ。それじゃ興行じゃないかと。高体連の場合は、全部参加校から参加費を取って、その中でペイしてますからね。

─── 高野連は高体連の傘下ではないんですよね?

野々村 全く違います。高体連と高野連の大きな違いは、選手の不祥事にしても、高体連はある意味、学校に任せてあるんです。高体連の方から大会に出るなとか、一ヶ月の活動停止とか言わないですから。出る出ないの判断は学校にあるんです。これこそが学校の現場に任せられた教育権でしょ。でも、高野連にはそれがない。とにかく、速やかに報告せよ。裁定を待て。野球部が次の大会どうするかについても学校側はただ待つだけですから。これが、教育委員会だったり文科省から言われるんだったらまだ筋がありますよ。学校教育における管轄のトップなんだから。でも、文科省の傘下でもない外郭団体が、学校教育の現場に指図してくるんです。「高野連って何の権限がある組織なの?」という疑問は、あまりみんな気づいていないんことじゃないでしょうか。

─── 私も今まで気づいていませんでした。

野々村 高校野球をあれだけメジャーにして、球児のモチベーションを高めたということにはもちろん意義があるけども、反面ね、高野連っていう組織はおかしいんじゃないかっていうのはありますね。何の権利があってそこまで口出しするの? と。学校の生徒の不祥事は学校でケジメをつけるべきで、何か問題があった時に「それでも頑張っていた生徒のために出場をさせます」という判断があったっていいと思うんですよ。

─── 「連帯責任」はいつも問題になりますね。

野々村 今の高野連の処罰規定だと、野球を通じて更生させる、という教育ができないんです。中学時代に不祥事を起こしたような生徒の場合、今の処罰規定だと怖くて入部させられないですよ。でも、そんな子でも野球を通じて成長できるかもしれない。それを待てやと。こういうことを高野連のアンケートにも書いたことがあるんですけどね。「やかましい奴だなぁ」と思われただけなんでしょうね。何の返事もなかったですね。

後編に続く)
(オグマナオト)