いまでこそメディアに顔を出さない人気マンガ家は少なくない。だが昔はひとたびヒット作が出れば、雑誌やテレビなどマスコミに取材で追いかけまわされ、うっかりするとクイズ番組の回答者やワイドショーのコメンテーターに……なんてこともざらであった。
いまとなっては信じられないことだが、鳥山明も『Dr.スランプ』のヒットで「徹子の部屋」に出たりしている。

そのなかにあっていしいひさいちはデビュー以来、テレビ出演はおろか顔写真すらほとんど世間にさらしていない稀有な存在である(厳密にいえば、文春漫画賞受賞直後、一回だけ週刊誌に顔写真が掲載されたことがあるのだが)。考えてみれば、20年以上も大新聞で連載を持ち、原作映画がディズニー配給により世界各国で上映されたほどのビッグネームでありながら、その顔も、私生活もほとんど知られていないというのは、ちょっとすごいことではなかろうか。ようするに私たちは、作品を通してでしかいしいひさいちのことを知らないのだ。情報ダダ漏れ時代の昨今にあって、これはもう奇跡に近い。

そんな謎多きいしいひさいちの素顔に迫ったのが、先頃刊行されたムック『文藝別冊 いしいひさいち 仁義なきお笑い』である。
関西大学在学中の1972年、「Oh!バイトくん」(関西ローカルの求人誌「日刊アルバイトパートタイマー情報」連載)でマンガ家デビューしてから今年でデビュー40年を迎えることを記念して出された本書では、ゆかりの地(出身地の岡山県玉野市、学生時代をすごした大阪市東淀川区)の写真レポート、単行本未収録作品「ゲームセット」、作品解説、常連キャラなどを紹介する小事典、詳細な年譜、著作目録のほか、後身作家たちによるトリビュート作品(いがらしみきお、しりあがり寿、吉田戦車、西原理恵子など豪華)が掲載されている。ほぼ同時期にデビューし、当時からいしいの大ファンだったという大友克洋へのインタビューも面白い。

しかし今回のムックで何より注目すべきは、本人書き下ろしによる「でっちあげロングインタビュー」だろう。インタビューなのに本人書き下ろし、というところからして人を喰っているが、ページを開いてさらに笑った。インタビューは全編、あのマンガでおなじみの手書き文字で書かれているのだ。聞き手として「たまののタイムス」の山田記者(女性。
たまののとは朝日新聞連載『ののちゃん』の舞台で、前出の玉野市がモデル)が登場するが、むろんこれもでっちあげ。

いしいひさいちは、前後してデビューした植田まさしとともに、当時停滞気味だった4コママンガの世界に革命をもたらしたとはよくいわれるところである。いしいも植田もともに多数のフォロワーを生み、その受け皿となる4コママンガ誌もあいついで創刊された。いしいの起こした革命とは具体的にどんなものだったのか。たとえば、従来4コママンガの基本とされてきた「起承転結」を、《起転転転、起承承結、あげくにオチのないオチ》(前出「でっちあげロングインタビュー」より山田記者の発言)といった具合に外したり、破壊してみせた点が画期的であった……とはよくいわれるところである。だが、こうしたとらえ方を、いしいは《それは誤解です。
そもそも4コマ漫画に起承転結というセオリーは存在しません》
とはっきりと否定している。

《まず起承転結に則って4コマを描く作家はプロにはおりません。/4コマを楽しむにしても、リズムは多様であって要件ではありません。(中略)あるとすれば観念的な読者の認識のフレーム、『あと知恵』としてあるにすぎず、4コマに起承転結がないのはけしからんといった論議はどこか幼い気がします。/おそらくコマ4個と4文字熟語の符号による錯誤もあります。仮にそれが東西南北だとすれば北がないとか言い出すんじゃないスか。
ともかくないものは壊せませんからわたしは起承転結を破壊したおぼえなどありません》


長々と引用してしまったけれども(いかんせんパソコンで打ち直した文字では、あの手書き文字で書かれたニュアンスを伝えられないのが残念だ)、ようするに、本人としては自分が面白いと思える、あるいは読者に笑ってもらおうとマンガを描いたらああなった、ということなのではないだろうか。

インタビューではこのほか続々と意外な事実があきらかにされ楽しくなってくる。映画が趣味だというのはうなづけるのだが、《いくら史上に残る名画でもモノクロというだけで観る気がしないのはなぜなんでしょうか》と言うあたりやはりひねくれている。

ひねくれているといえば、東京ヤクルトスワローズにファンになったきっかけを問われ《まわりにスワローズファンがいなかったので、そう言っておけば肩抱きあってつるまずにすむもんで》と答えているのもそうとうだ。ちなみに巻末の年譜によれば、いしいは国鉄スワローズ時代からのファンで、年に1回ほど岡山で開催される試合を見に行くたびにボロ負けするという、そのあまりのひどさから応援するようになったのだとか。ちなみにスワローズの初優勝は1978年、いしいが初の単行本『バイトくん』を刊行した翌年のこと。
このときの監督の広岡達朗や、「ペンギン投法」で知られたピッチャー安田猛は、いまなおいしい作品の重要なキャラとして活躍中だ。

「でっちあげロングインタビュー」ではほかのマンガ家についてもちらほら語られているのだが、なかでもライバルともいうべき植田まさしを「勇気の人」と呼び、《新聞連載にあたってスタイルをかえて臨むなど蛮勇といってよいことで、私にはとてもそんな度胸はありませんでした》と評しているのも興味深い。

いしい自身が新聞での4コマ連載を始めて21年が経つ。この間、当初の『となりの山田くん』から『ののちゃん』へと改題、マイナーチェンジはあったものの、新聞で定番の季節モノはやらないなどの方針は変えていないという。また、いわゆる考えオチも少なくない。そんなある意味で型破りの連載ゆえに、読者からのクレームも結構あるようだ。
それに対していしいは《ナンセンスギャグはセンスの共有を前提としますから読者を選別排除しがちです。怒るのもムリありません》と語っている。

だが、それでも日本を代表する新聞に数十年にわたっていしいのマンガが掲載され、その後もしりあがり寿や西原理恵子といった《日本の新聞にこんなワケわかんないサブカルの漫画家が連載してる》という「異常事態」(西原理恵子が寄稿したマンガのなかでの編集者のセリフより)を生み出したことは特筆に値しよう。お笑い通ぶった人たちはとかく「日本人にはナンセンスがわからない」「『モンティ・パイソン』的な笑いは日本では無理」などといったイヤミな物言いをしたがるが、てめえら、そういうことはいしいひさいちが20年以上も朝日新聞で連載しているという事実をちゃんと受けとめ、その意味をよーく考えてから言えよな!

モンティ・パイソンといえば歴史を題材にしたコントも多かったが、「コミカル・ヒストリー・ツアー」(『週刊朝日百科 世界の歴史』連載)や「笑史千万」(講談社の『興亡の世界史』月報での連載)といったいしいひさいちの世界史モノは十分にそれに対抗しうる、いやそのネタの尽きなさを思えばもはや凌駕しているといってもいい。史実を学習マンガのごとく単純にマンガへ流しこむのではなく、ちゃんと咀嚼し自家薬籠中のものにした上で、いしいワールドのできごととして展開しているのはさすがというしかない。シーザーや劉邦などの英雄を、バイトくんや久保くんといったおなじみのいしいキャラが演じているのに、何となく歴史のエッセンスがつかめてしまうって、これはあなた、すごいことですぜ。

歴史だけでなく、政治や経済、現代思想、スポーツ、時代劇、SFなどなど何でもござれ、八面六臂の活躍を見せてきたいしいひさいち。しかし、2009年11月から翌年2月にかけての病気療養ののち『ののちゃん』の連載を再開してからというもの、いしいの連載作品はこれ1本だけとなっている。4コママンガを量産するというのは私たちが思う以上に重労働なのだろう。いしいの朝日での前任者であるサトウサンペイも長谷川町子も60歳前後で連載を終えてるし、同世代でやはり4コマや1コママンガで活躍した高橋春男も一昨年、一切の連載にピリオドを打っている。

当人いわく「隠居仕事」という『ののちゃん』だが、長年いしいの仕事に携わってきた評論家の村上知彦によれば、再開以降の同連載にはさまざまないしいマンガのエッセンスが注ぎ込まれているという。ときには、主人公ののちゃんのクラスの学級新聞という形を借りて「忍者無芸帖」「鏡の国の戦争」などなどこれまでの作品が“闖入”したりと、これはもういしいの集大成的作品というしかない。いっそのこと、朝日新聞は「いしいひさいち先生の作品が読めるのは朝日新聞だけ!」とアピールすべきではないだろうか。「天声人語」よりそっちを売りにしたほうがよっぽど効果ありそうだし。(近藤正高)