高山羽根子「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」(すばる五月号)
古市憲寿「百の夜は跳ねて」(新潮六月号)
古川真人「ラッコの家」(文學界一月号)
李琴峰「五つ数えれば三日月が」(文學界六月号)
今回の候補作は物語性の有無が選考の焦点になりそうな気がする。芥川賞という文学賞はいくつもある小説の要素のうち物語性を優位のものとして評価するのか。わかりやすさが求められることの多い世情において、そうした物語を提供することがこの賞の使命なのかどうかということが論じられるのではないだろうか。
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今村夏子『むらさきのスカートの女』(「小説トリッパー」春号)

公園に出没する怪しげな女。それが〈むらさきのスカートの女〉である。その女の生態を冷静に観察する視点から話は始まる。子供は残酷だから、女を度胸試しの道具に使ったりする。そうした都市伝説をモチーフにした作品なのかと思っているとすぐにとんでもないことになる。今村夏子の小説は予定調和で安心できる場所に決して読者を導かない。この作品でもそうだ。〈むらさきのスカートの女〉という怪人の話だったはずが、舞台の中央からその姿が次第に消えていく。代わりに一人の当たり前の顏をした女性が現れてくるのだ。
もしかするとこれは視線の小説なのかもしれない。わかりやすく怪物を作り上げる視線は、SNS全盛期の宿痾でもある。語り手である〈わたし〉は自分のこと以上に他人である〈むらさきのスカートの女〉を語ることに熱中している。他者の人生に介入することで、自分はノーマークになっていくという、歪んだ自己保身が行われる世界の小説。