「ブレードランナー」の異名を持つオスカー・ピストリウス。両足義足の選手で初めて、オリンピックとパラリンピックに出場するというニュースは世界から注目を集めた。
オリンピック出場は「義足が優位に働くのではないか」と様々な議論を呼び、「公平性が保てない」というバッシングを受けた。両大会に出場し活躍した外国人選手は他にもいる。3人に共通して言えることは、彼らの夢は障害を持ちながら「オリンピックに出ること」だった。

■ 陸上~オスカー・ピストリウス(南アフリカ)~
生まれつき両足のすねに骨がなく、生後約11カ月で膝から下を切断した。子どもの頃から義足をつけてテニスやラグビーなど様々なスポーツに取り組んだという。アテネでは100mで銅、200mで金メダル。北京では100・200・400mの3種目で金メダルを獲得したが、オリンピックの出場の夢は果たせなかった。ロンドンオリンピックでは個人種目の400mとリレーに出場し注目を浴びた。パラリンピックでは100mと200mで連覇を逃したが、得意の400m(46秒68)では他者を寄せ付けない強さで優勝。

競技後の取材陣の数からも、世界の注目度が伺える。オリンピックの舞台に義足で400メートル準決勝に進出した姿は記憶に刻まれ、パラリンピックでは、ピストリウスが走る度、スタジアムは揺れるほどの歓声に包まれた。義足の優位性については「不正をしてまで健常者と戦いたくはない。
厳しい努力の成果だ」と胸を張って答える。彼の活躍や発言はスポーツの世界に様々な問題を投げかけた。今後、技術の発展に伴い、改善点や公平性などについて、更なる研究や調査がなされていくだろう。ようやく議論をする段階にきたという点でも、間違いなくスポーツ界の歴史を変えたのではないだろうか。

SNSなどでファンと交流する姿や、競技終了後に何時間もかけ丁寧にメディアの質問に受け答えする様子からも真面目で気さくな性格が伺える。矢面に立ってでも伝えなければならないことは何か。「子どもたちが、『義足格好良いね、一緒に写真を撮って』って言ってくるんだ。世界の子供たちが、手がなかったり足がない選手たちから、何かメッセージを受け感じてくれている。それが嬉しい」と笑った。彼が伝えたいことは、とてもシンプルなことなのかもしれない。

■ 卓球 ~ナタリア・パルティカ~(ポーランド)
ナタリア・パルティカ選手は、生まれつき右肘から先の部分がない。姉の影響で子どもの頃から卓球を始め、健常者の大会にも参加。
右腕の肘部分にボールを乗せ、サーブを打つ。北京に続き、ロンドンでも両大会に出場。ロンドンオリンピックではシングルスで一勝した。パラリンピックでは、アテネ、北京、ロンドンとシングルスで3大会連続の金メダルを獲得した。「私は障害があるとは思わないし、みんなと同じアスリート」

「帰国後も様々な試合に出場を続け、練習に明け暮れる」。来年の6月までは休みも取れないという。「強くなったのは練習の成果。私はもっと強くなれる。次の五輪では、更にいい結果を残せると思う」。真のアスリートとしての自信をみせた。

■ 競泳 ~ナタリー・デュトワ~(南アフリカ)
2001年、水泳のトレーニングを終え学校に向かう途中、スクーターの事故で左足を切断。17歳だった彼女は、激しい痛みに耐え、3ヶ月後には練習を再開したという。
その1年後にはイギリスで行われた健常者の大会に出場し、決勝に進んだ。他者を寄せ付けない圧倒的な強さで、アテネと北京パラリンピックで合計10個の金メダルを獲得。北京ではオリンピックにも出場、女子競泳オープンウォーターで24人中16位の成績を残した。ロンドンパラリンピックでは、100mバタフライなどで3個の金メダルと1個の銀メダルを獲得。

「オリンピック出場ではチャレンジすること、夢を持つこと、経験してみることを学んだ。でも、海や湖、プール、五輪、舞台がどこでも、泳ぐことから得るものは全て同じ。オリンピックもパラリンピックも同じ人間のすること。同じぐらい価値がある」。デュトワは大会が始まる前から引退を表明。「後悔は全くない。今までは水泳ばかりしてきて、勉強や仕事、本当に色んなことを犠牲にしてきた。まずは、ギリシャクルーズがしたいな」。
28歳のデュトワは、新たな人生に向けて、ワクワクしているようにもみえた。

「オリンピック選手と戦う時に、ハンディがあると思うか?」「オリンピックで健常者と戦うか、パラリンピックで金メダルを取るか、どちらが大事か?」。選手らが飽きるほど聞かれる定番の質問だ。3選手の言葉は全て同じ。「ハンディは感じたことがないし、パラリンピックもオリンピックも、どちらも同じぐらい大切」
(山下敦子)
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