もはや話題のピークもすぎ、旧聞となりつつある「3500円のカツカレー」(もっとも、その火元とされる大阪のテレビ番組を確認したところ、「普通のカレーが3500円、カツをつけると特別オーダーでもっと高くなる」と伝えられていたのですが)。去る9月26日の自民党総裁選の直前、ホテルに集まった安倍晋三候補の陣営でゲン担ぎで食べられたということから話題になったものです。
しかしその後、ほかの候補も選挙前にカツカレーあるいはカツ丼を食べていたことが報じられていました。

その値段はともかく、自民党の政治家たちとカレーには結構深くて長い関係があったりします。カレーにかぎらず、歴代の党総裁・首相の食べ物にまつわるエピソードを探してみると、思いがけない人柄や思惑が見出せたりしてなかなか興味深いです。ここでちょっと振り返ってみましょう。

■池田勇人とライスカレー
いまではそう呼ぶ人は少ないですが、カレーライスはライスカレーとも呼ばれていました。1960年代、ライスカレーは政治家が庶民派アピールをするのに格好のメニューであったようです。


1960年、日米新安保条約の成立後、自民党総裁および首相の岸信介(安倍さんの母方のおじいさんですね)が退陣します。岸が同条約の成立にあたり強引な議会運営を辞さなかったのに対し、後任の池田勇人は「低姿勢」というスタイルを打ち出します。そのあらわれのひとつが、ライスカレーを食べながらの会合でした。池田は同時に、まだ一般国民には縁遠かったゴルフや、芸者のいる待合茶屋に行くのもやめています。政治家の密談の場になりがちなこれらを遠ざけ、話し合いの場をライスカレーの昼食会へと改めることで、開かれた政権をアピールするという思惑もあったのでしょう。

■首相官邸で魚を干した佐藤栄作夫人
病気を理由に1964年に退陣した池田のあと自民党総裁・首相となったのは、池田の盟友にして最大のライバルであった佐藤栄作でした。
8年近くにおよぶその首相在任中は学生運動華やかりしころであり、佐藤の私邸の周辺でもデモが行なわれることもしばしでした。そこで近所への配慮から、夫妻で首相公邸(当時の首相官邸とは渡り廊下でつながっていました)に移り住みます。

魚介類が好きだった夫のため、寛子夫人は公邸の屋根の上に魚を干して、ちょっとした物議をかもしました。公邸の屋根は高く広く、日当たりがよいうえ、猫にも気づかれないので干物づくりにはもってこいの場所だったようです。ただ、夫は「総理公邸で干物づくりなんて、ずいぶん心臓だな」と苦笑いだったとか。

■角さんは濃い味が好き
昨日(10月1日)の第3次野田内閣の改造人事で、文部科学大臣に田中真紀子議員が起用されました。
彼女のお父さんはいうまでもなく田中角栄元首相です。

田中は1972年の自民党総裁選で、佐藤栄作の後継として本命視されていた福田赳夫を破り当選を果たしたます。学歴もほとんどなく裸一貫でのしあがったその経歴から、国民は「庶民宰相」「今太閤」ともてはやしました。首相就任直後、母親のフメは「いまでも鮭の頭と大根煮が好きで、あぶら味噌も食べとる」と息子の好物を雑誌で明かしています。いかにも庶民派です。また濃い味が好きで、ごはんにバターをつけたり、ラーメンにじゃぶじゃぶ醤油をかけていたといった話も伝えられています。


■福田赳夫は外遊中もそば三昧
田中角栄の宿命のライバルだったのが福田赳夫です。先日、政界引退を表明した福田康夫元首相のお父さんです。彼が自民党総裁・首相となったのは、田中、三木武夫と続いたあと、1976年のことでした。

福田がこよなく愛したのが麺類、とくにそばでした。彼のそば好きはちょっと度を超えていて、韓国を訪問したさいには13食のうち12食をそばですませてしまったといいます。また三木内閣での副総理時代に南米諸国を歴訪したときには、各地の在外公館など行く先々でそばが用意されており、最後には同行の官僚や記者団がうんざりするなか、福田だけが嬉々として麺をすすっていたとか。
そんな福田が逆に苦手としたのが鶏肉。鴨南蛮を出されたときにはさすがに肉を箸でつまみ出してから食べていたようです。

■卵焼きは一番最後に……中曾根康弘
1980年代に5年間の長期にわたり政権を担当した中曾根康弘は首相在任中、官邸の執務室の机のひきだしにいつもバナナをしのばせ、多忙なときなどに食べていたといいます。

彼の大好物にはもうひとつ、卵焼きがあります。食事に出されると最後まで残しておいて食べるほど目がないとか。政治家になったばかりの若い頃より、自分が首相になったらどんなことをするかずっとノートに書き留めていたという人だけに、この話もいかにも「らしい」です。


■アンパンを差し入れた橋本龍太郎
1993年の総選挙に敗北し一時野党となった自民党は、翌年に政権に復帰しても連立相手の社会党(現・社民党)に首班を譲ります。このあと1996年、約2年半ぶりに自民党総裁として首相となったのが橋本龍太郎でした。

橋本の首相在任中の1996年から翌年にかけて、南米ペルーでの日本大使公邸占拠事件が起きます。このとき、外務省のオペレーションルームで事件に対応していたスタッフたちにアンパンを差し入れたことから、半ば皮肉をこめて「アンパン宰相」と呼ばれたりもしました。ただし久美子夫人によると、橋本はもともと人に差し入れをして「ご苦労さん」と言うのが好きだったのだとか。このときもアポなしで自ら銀座の木村屋に足を運び、アンパンを買い求めたといいます。「せめて事前に連絡すればいいんですがね」とは夫人の弁。

■「冷めたピザ」「谷間のラーメン屋」……自虐ネタを逆手にとった小渕恵三
1998年、橋本龍太郎が参院選での敗北をとり辞任したのち、彼と同い年で初当選も同じだった小渕恵三が総理・総裁となります。小渕を評するフレーズにはなぜか食べ物がらみのものが目立ちました。たとえば「冷めたピザ」。これは首相就任直後、「ニューヨーク・タイムズ」が、何をしても食べられないという意味で彼を呼んだもの。しかし本人はこれを逆手にとって、米「タイム」誌の表紙でピザを手にして登場してみせたり、自宅に集まった記者たちに温かいピザを振る舞うなど、積極的に自身のアピールに利用しました。

ほかには「ビルの谷間のラーメン屋」というのもありました。選挙区が福田赳夫や中曾根康弘など大物政治家たちと一緒で、選挙ではいつも2位か3位での当選だったことから、自身をこうたとえてみせたのです。これもお気に入りで、首相になってからもことあるたびに口にしていましたが、とある国際会議でこのフレーズを持ち出したときには、さすがに同時通訳の人が困ってしまいました。ことさらに自分を卑下する表現は外国人には違和感を与えるのではと思った通訳は、機転を利かせてもう少し和らげた表現で訳したそうです。

発足当初は低かった小渕内閣の支持率も、その後ときを追うごとに上がっていきました。これをビートたけしは「海の家のラーメン屋」とたとえています。その心は、「まずいだろうと思って入ってみたら、案外いけた」。しかし小沢一郎率いる当時の自由党との連立を実現した直後、小渕は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいます。

■「小泉劇場」の小道具はひからびたチーズと缶ビール
最後にとりあげるのは、2001年から5年間にわたり首相を務めた小泉純一郎です。小泉首相と食べ物といえば、やはり2005年のいわゆる「郵政選挙」直前のあのエピソードを思い出します。小泉政権最大の目玉だった郵政民営化法案はこのとき、衆議院は通過したものの、参議院では否決されることが濃厚でした。そこで小泉首相は、否決となれば衆院を解散、総選挙を行なう決意をします。それに対し解散を思いとどまるよう森喜朗前首相が首相公邸を訪ねて説得にあたりました。

この会談にあたり寿司でもとってくれるだろうと、ゆっくり話し合うつもりでやって来た森に出されたのは、缶ビール10本とつまみの高級チーズとサーモンだけ。ビールの缶は次々と開けられていったものの、話はけっきょく平行線をたどります。すっかりあてがはずれて公邸をあとにした森は、記者たちにビールの空き缶とチーズのかけらを見せながら、「噛むんだけど、硬くて噛めないんだよ」とぼやきました。翻意を翻そうとしたはずの森ですが、むしろ首相の決意の固さを伝える使者の役割を担ってしまったのですから皮肉です。つぶれた空き缶とひからびたチーズは、この場面にスパイスを効かせる格好の小道具となりました。

こうして見てゆくと、政治家たちにとって食べ物は、ときに格好のアピールポイントにもなっていたことがうかがえます。マスコミが会合でのメニューなどに目を向けるのも、そういうことがあるからでしょう。ことさらに騒ぎ立てるのも考えものですが、政治家たち(それはもちろん自民党以外の議員も含めて)のサインを読み逃したり、あるいはまんまと策略に乗せられないようにするためにも、その手の情報を知ることは案外バカにならないというのも、またたしかではないでしょうか。
(近藤正高)