ドキュメンタリー映画「演劇1」「演劇2」の主人公(被写体)平田オリザは日本を代表する演劇人であり鳩山内閣時代の内閣官房参与として所信表明演説の草稿を執筆したメンバーのひとりでもある。
彼が率いる青年団の演劇活動の様子を稽古、本番、その他の事務的な活動、政治家を招いた懇親会などの宣伝活動、地方の劇場での活動、一般人を対象にしたワークショップなど様々な現場に密着している。
その中で「演じるとは何か?」を解きほぐしていくのだが、演じることが仕事の演劇人はどこか素でどこが演技なのかミステリアスな存在だ。
この映画の監督は世界的に活躍するドキュメンタリー作家・想田和弘。
彼は持ち前のユーモアを駆使して、この演技する人たちの姿をおもしろおかしく切り取っていく。
平田オリザという人物と彼の演劇活動がこんなにも笑えるものなのか、とグイグイ引き込まれ、気がつくと5時間42分があっという間!
ありえないほど長時間のドキュメント映画にも関わらず、決して重苦しくなく、むしろ飄々とした口当たり。でもピリっとスパイスも。
こんなふうに映画を作ってしまう想田和弘という人物がまたミステリアスである。
彼はいったい何者なのか。なぜ、今、演劇をテーマにしたのか? インタビューしてみた。
映画が「演劇1」「演劇2」という2部作なので、インタビューも「想田和弘1」「想田和弘2」と2部作にしてみます。
89年、バブル時代の東大にまだ左翼学生がいた!
ーー想田さんってお名前は本名ですか?
「本名です」
ーー想うに田っていう字は珍しいですね。
「僕の故郷、栃木県足利市に多いんですが、皆たぶん親戚だと思います(笑)」
ーーご親戚は皆さん想田さんのようなクリエイティブなお仕事を?
「いや、そんなことないです。親はアートとは無縁ですし、芸術とは関係の薄い家系に育ったんで。
ーー演劇は?
「演劇は全然」
ーーはじめて見た演劇は?
「なんだったんだろう? たぶん、学校に来たようなやつを見たんじゃないかな。小学生の頃に」
ーー演劇に対する認識はとくにないまま大人に。
「そうですね。どっちかっていうと苦手意識がありました。不自然な台詞回しや大げさな演技などに対する、無意識な苦手意識があって。だからそういう偏見まみれでいたのに、平田オリザさんの傑作『東京ノート』に2000年に出会った時に、ああ、違う演劇もあったんだって思って。ハッハッハ 演劇への興味はそこからです。演劇というか平田さんを撮りたいと思ったのは、平田さんの強い意志を感じたというか。いわゆるステレオタイプの演劇の表現から決別しようというね。ああいうのは相当意識的にやらないとできないことだと思うんですよね。そこに挑戦してる感じにも、すごく引かれたと思う」
ーー想田さんの出身大学東大の演劇人ですと野田秀樹さんもいらっしゃいますが、野田演劇に触れる機会は?
「あったはずですよね。
ーー80年代の終わりにも? 東大ってすごいですねえ。
「いたんですよ。東大駒場寮は、野田秀樹さんの劇団『夢の遊眠社』が拠点とした駒場小劇場で有名ですが、寮は左翼的な学生が占拠し管理していたんですよね。そのせいで、駒場寮は家賃が月400円くらいだったんですよ。バブルの頃だったんですけど(笑)。そんな時代に僕は東大に入って、どちらかといえば左翼学生の活動のシンパだったので、風の旅団の事件も興奮しながら取材した。だからか、当時の僕の中では、演劇=政治的メッセージを発するものというイメージが強かった。風の旅団の事件では、機動隊が入って学生が5人も逮捕されて、以降、学生運動が急にしぼみました。今考えれば、あれが最後の灯火だったんですね。すごい皮肉なのは、さっきも申し上げたように89年、風の旅団事件と同じ年に『ソウル市民』が上演され、平田さんの現代口語演劇が完成していたんです」
ーーちょっと運命的ですね。
「ハハハハハハ。平田さんが現代口語演劇を提唱して、『演劇にはメッセージはいらない』とか『日本語には日本語らしい話し方がある』とか言い始めたのと、学生運動がしぼんだのが、同じ89年の駒場だったというのは、個人史的に意味がありますね」
ーー個人史だけでなく広く考えて意味があるような気がしてきます。
「フフフ。その後僕は政治的な活動にはだんだん興味が薄れていって宗教学を専攻し、更には93年、映画を志してニューヨークに渡った。だからアートに初めてきちんと触れたのは、ニューヨークに行ってからなんですね。そして2000年、ニューヨークで平田さんの演劇『東京ノート』と出会って衝撃を受けます。要するに10年越しで、駒場では出会えなかった平田オリザさんと、地球の裏側で出会う準備をしていたようなもので。でも実際に映画の企画が動きはじめたのは2008年で、出会いからまた8年くらい準備期間があった。要するに20年越しですね(笑)」
事実を撮るのにあらかじめ台本を作るってどういうこと?
ーー2008年から平田オリザさんを撮られて4年、ちょうど今、国から演劇の助成が減らされたり、橋下徹氏が文楽や小劇場を批判したり、まさに今、演劇頑張らなきゃっていう時の公開と絶妙なタイミングなんですが(インタビューは8月末だったが、その後、青山円形劇場、青山劇場が閉館というニュースも発表された)。
「でも、それは意図していなかったですよ。なにしろ撮りはじめたのは2008年ですから、今、こういうことになるとは全く予想していませんでした。まあ、いつもそうなのですが、僕の場合は映画を公開する頃に何か起きるんですよね」
ーー優れたクリエーターは未来を読みますからね。
「いえいえ(笑)」
ーー想田さんの撮り方はシナリオを作らないことが特徴とお聞きしましたが、逆にドキュメンタリーというフィクションではないものなのにシナリオを作るものなの?と不思議に思います。
「ああ、そうですよね。
ーーよくテレビ局がねつ造していたってニュースになるのはそういうことですね。
「ええ、いわゆる『ねつ造事件』の背後には、プロデューサーに追い詰められたディレクターという構図があるわけです。あと、テレビ・ドキュメンタリーでは、ナレーションで何でも懇切丁寧に説明したり、悲しい場面に悲しい音楽をつけて感情を盛り上げたりしますよね。ほんとはもっと映像にはいろいろな見方がありえるはずなのに、こういうふうに見てくださいよって作り手が決めてしまう。それを僕は『離乳食映像』と呼んでいます。要するに飲み込みやすいように作り手が噛み砕き、見る人は映像を口に入れるだけで自分で消化しないで済む。テレビ・ドキュメンタリーの現場では、そういう作業を要求されることが多くて」
ーーNHKでもそうなんですね。
「うん、民放はもっとすごいかもしれない。そういう作り方に僕は疑問をつのらせて、『観察映画』というスタイルでインディペンデントで撮るようになった。だから僕の映画には音楽もナレーションもないんです」
平田オリザは実は優れた俳優でもあった!?
ーー「演劇1」「演劇2」は音楽もナレーションもない中で、時々、意識的に実際聞こえている音を消すところもありました。あれはどういう意図だったのでしょうか。
「あれは、僕がドキュメンタリー映画を撮ってきて、はじめてやったことです。ドキュメンタリーとは、現実と虚構の間を行ったり来たりするものですが、今回は、今まで僕が撮ってきた作品の中でも、かなり虚構性が高い。今回は撮られている人たちがいわゆる演じるプロ、虚構を作るプロなんで、なんていうのかな、目の前で事実として起こっていること自体がものすごい虚構性を帯びているというか。今僕は何を撮っているんだろう?っていう……」
ーーもしかしたら演技を撮っているんじゃないか?っていう。
「そう! ハハハ!」
ーー俳優ってわからないですよね。ふだんでも演技をしていますよね。
「そうなんです。特に青年団の場合は、いわゆるリアルな演劇を目指す集団で、いかにリアルに見せるかってことを日夜研究している人たちなんですよ。だから撮っていると、みなさんすごく自然なんですが、この自然さってなんだろう?って(爆笑)。例えば、カメラを徹底的に無視してくださるんですね、皆さん。中でも平田さんの無視の仕方は徹底していて、今までいろんな被写体を撮らせてもらいましたけど、こんなにカメラを無視する人、いないですよ。新幹線の中で僕が平田さんの顔の目の前でカメラ回してるのに、『寝ますよ』とも言わずに勝手に寝ちゃうんです。すごいです。でもそれって逆にいうと、カメラの存在を意識していることでもあるわけなんですね。つまり、カメラの前で『平田オリザ』という役を演じているのだと思うんです、僕は」
ーー劇作家演出家という認識しかありませんでしたが、実はすごい俳優なんですね、平田オリザさんは。
「アハハハ。平田さんには少なくともそういう技能がある。というのは例えば、いろんな場所で彼のワークショップを5回か6回撮らせてもらいましたが、毎回全部同じなんです、台詞が。どこでやっても。一字一句同じなんです、ほぼ。あと、その時に言う、冗談も全部一緒なんです」
ーー台本どおりだと。
「(爆笑)平田さんという人は、実に演劇的な人なんですね」
平田オリザのスーパーナチュラルな演技は映画の中でたっぷり見ていただきたい。そして、どこが演技でどこが素なのか見破ってみてほしい。
次回は、さらに話を進めて、人間は演じるものであるとするならば、ロボットや猫は演技をするのか? そもそも心はあるのか? について想田監督に伺います。
(木俣冬)
想田和弘2 につづく