『解+』という本は、秋葉原無差別殺傷事件(2008年)の犯人である加藤智大が事件をふりかえった本『解』のアップデート版だ。『解』についても以前エキレビで紹介した


「アップデート版」というのも、彼は「『解』を全面的に書き直そうとしたが間に合わなかったので『解+』を書いた」としているからだ。

前回よりも丁寧に、自身の誤認や考えが至らなかった部分、混乱していた側面も改めながら事件について書いている本書。まず、全12章の構成がすごい。

1章〜9章:事件の説明を始める前に(1)〜(9)
10章:私が起こした事件について
11章:事件が起こらなかった可能性を考える
12章:事件を未然に防ぐには

完全に「かったるい構成」にしてある。彼はマスメディアや世間、元をたどれば検察などの「誤解や思い込み」にうんざりしているのだ。その上で「ちゃんと読む人」のみに説明する態度を示している。


凶悪事件が起こって犯人が見つかると、必ずワイドショーが犯人をモンスター化する。

「親の虐待」「祖父の死」「動物いじめ」「テレビゲームに熱中」などなど、モンスターの生まれた理由とモンスターの行った悪行を犯人の写真にくっつけてビジネス用のコンテンツにする。

そんな単純なはずはないのだが、忙しい世間の人たちには、このコンパクトなサイズのドラマが広まりやすい。みんな忙しいのだ。忙しいけど、理解したような感じで悪を論じて叩きたい。そんな感じかもしれない。


加藤智大はこの「ストーリー作り」が、検察の調査からすでに始まっているのだと説明し、それに対しては本当に嫌な思いをしている様子だ。彼曰く、「取調べとは、取調官が(捜査の方針通りに)被疑者を自白させる作業のことです。」

彼はそういったスタート地点から、丁寧に、事柄によっては0から自分で「凶行」について考え直している。どのような目的を達成するため、どのような手段として、どのような行いが、どのように選択され、実行されるのか。彼が自身を材料に考えている。

さらに、事件当時よく報じられていた掲示板についての話や、人付き合いに関してなども書かれている。事件の数年前や幼少期のことはもちろん、取調中のことも思い出して書かれているのは興味深い。
「容姿のコンプレックスなども事件の理由とは関係ない。生え際の後退も自分にとってはネタ」「非正規雇用『負け組』も理由じゃない」「オタクも理由ではない」など、当時貼られた「わかりやすいレッテル」を彼風にはがしていく章などは、彼と話している気分にもなる。

読めば「凶悪犯モンスター説」は却下だろう。同じ時代で同じ社会で生まれ育ったたくさんの人間のうち、1人だけ「凶悪犯になる運命」ってわけがないのだ。彼は「凶行をやった理由を探しても仕方がない。やらない理由が無かったり、あってもブレーキにならなかったことが重要だ」という考えを展開している。


そこにいきつくまでの記述は、葛藤について社会との接点について敵味方・他人についてコミュニケーションについて…すべての人に共通する考えが続いている。彼は書くプロでもなければ考えるプロでもないので、文章や思考の粗を探そうと思えばいくらでもできるかもしれないが、それにしたって丁寧に書かれており、彼とともに考えるには十分な本だ。

『解』とセットでも、そうでなくても意味不明ではなく読める。

「凶悪犯罪なんてたまにしかないし、どうでもいい」、誤認逮捕の報道とかを見ても「検察や裁判の問題は、普通の人には関係ない」って感じの人にはおすすめしません。(香山哲)