とび太くんは、いつもさりげなくそこにいる。のどかな田園や信号のない通学路など、主張しすぎることはないが、ドライバーに向けて芸人なみにキレのあるポーズで「子どもやお年寄りによる飛び出し注意」を訴える。
滋賀県内に関わらず大きなお目目で「運転、気をつけて」と強烈にアピールする、いじらしいとび太くんを見たことがある人も多いだろう。

地域によってさまざまな絵柄の飛び出し注意を促す看板があるが、滋賀県のとび太くんは、飛び出し坊やの元祖だという。車の交通量が急激に増えた高度経済成長期に、滋賀県旧八日市市(現・東近江市)の社会福祉協議会が中心となって、急増していた子どもの飛び出し事故を未然に防ごうと、看板製作業の久田工芸・代表者久田泰平さんに依頼。1973年、久田さんの手でとび太くんが考案され、県内に広まったという。

イラストレーターのみうらじゅん氏によると、「とび太くんこそが、現在主流となっている飛び出し坊やの元祖だ」として、「0系」と命名している。また、滋賀県は飛び出し坊や設置数が全国一を誇るのだそうだ。
そんなとび太くんが、ドバイやインドなど海外でも発見されているという……。滋賀県のとび太くんが、なぜ世界へ?疑問は深まる。

とび太くんグッズを製造販売する「まほろば製作所』の代表、川村潤市さんに話を聞いた。まず、とび太くんが滋賀県の名産だとは露知らず。滋賀県民は、昔から日常生活に溶けこむ「とび太くん」の存在をあえて意識していなかったのかもしれないが、とび太くんはいまや若者に人気の複合型書店「ヴィレッジヴァンガード」(滋賀県内と大阪市内の一部店舗のみ)で、グッズが販売されるなどじわじわと勢力を拡大している。「とび太くんが飛び出し坊やの元祖で、日本で初めて設置されたのが滋賀県東近江市だということを記録に基づき証明しようとしたのは私ですが、今のところ反論は出ていません(笑)。
ここ数年で滋賀の名物として認知されつつあります」(川村さん)

そんなとび太くんがなぜ世界へ?「飛び出し坊やを愛する『飛び坊実行委員会』のメンバーの永田純子さん(滋賀県栗東市在住)が、とび太くんを韓国やインドに連れ出してくれたのがきっかけです。その後、私もとび太くんとバヌアツ共和国へ」。バヌアツでは川村さん自ら小学校の校長に会い趣旨を説明すると、「素晴らしい!」と賛同を得て学校前に設置してもらえることになった。「用務員さんがとび太くんの看板をもとに複製を作りたいというほど、喜ばれました」(川村さん)

設置後、現地の日本人在住者や旅行者から「とび太くんは健在です」という連絡があったというが、とび太くんは常に誘拐の危機にさらされている。初めて飛び出し坊やを見る現地の人からすれば、「なんだ、この可愛らしい人形は」と家に持って帰りたくなるか、「あやしい」と、地元の探偵局に調査を依頼するか…。川村さんは以前、とび太くんとオマーンを旅したという。
「オマーンの砂漠に設置したかったのですがタイミングが合わず、とび太くんを脇に抱えたまま旅をする破目になりました(笑)」。残念ながらオマーンの地には足跡を残せなかったが、とび太くんの活躍は彼を愛する人たちの努力の賜物と言えるだろう。

とび太くんが異国の地でポーズをキメていると思うと何だかほんわかしてしまうが、設置の理由はいたって真面目だ。「国によっては車の運転はめっぽう荒く、歩行者は適当なところで横断することもしばしば。おそらく飛び出しによる事故も多いのではないかと察しがつく交通事情。滋賀県で生まれたとび太くんの活躍で、世界中の子どもたちの交通事故が軽減するよう願っています」(川村さん)。
今年は元祖飛び出し坊や40周年。すっかりアラフォー…という風格は微塵も見せず、とび太くんはこれからも国内外にとびたっていくに違いない!
(山下敦子)