2013年8月24日から4回にわたり、NHK土曜ドラマ枠で『夫婦善哉』(1939)を放送します。脚本は大河ドラマ『平清盛』の藤本有紀。
原作は、今年生誕100年の織田作之助(1913-1946)がデビューの翌年、満25歳で書いた大ヒット作です。
デビューしてから夭折するまでたった9年のキャリア、しかも第2次大戦で小説家全体が不自由だった時期がほとんどだったことを考えると、オダサクという作家の仕事は驚異的です。窮屈な状況下に、スピード感溢れるキビキビとした作品を少なからず書き、戦後1年ほどのあいだに驚異的な質と量の小説やエッセイを書いたのですから。

『夫婦善哉』という題名は、大阪・法善寺のすぐそばの有名な甘味処(大阪市中央区難波1-2-10)の屋号です。1883年からというわけで今年で創業130年、オダサクが小説を書いたときでもすでに創業56年の老舗でした。創業時の屋号は「お福」でしたが、いつからか一人前のぜんざいを小さなお椀ふたつで出す営業スタイルが評判を呼び、そこにちなんで夫婦善哉と改名したのです。

織田の小説の大事なところでこの有名店が登場するわけで、いわば人気店にあやかったストーリーとネーミング、いまで言えば、うーんそうだな、吉田修一が『自由が丘ロール屋』という小説を書いたようなもんだと思えばいいでしょうか。吉田さん書かないかな。
ところが皮肉なもので、どんなに有名でもお店というものはローカルなもの。いっぽう小説は全国区ですから、小説がヒットするとそっちのほうが有名になります。それでお店のほうの夫婦善哉のほうがオダサクにあやかったみたいに思ってしまう人が多いかも。
それは間違いらしいのですが、大阪観光でこのお店にくるお客さんには、有名な小説の舞台を見る気で訪れる人が多いのも事実。
路面店時代の最後のころ、私も「聖地巡礼」に行きました。なお21世紀にはいって法善寺横丁で火事が相次ぎ、夫婦善哉は2006年以降はビルに入っています。

織田作之助の『夫婦善哉』は劇として上演され、1955年に豊田四郎監督で映画化され、そして今回のドラマ化と、まさにメディアミックス界の覇者。以下に記す梗概はあくまで原作のものであり、映画版やこんどのTV版には依拠しませんが、映画版/TV版のキャスティングを入れてみました。

味はいいが貧しい天麩羅屋の種吉(田村楽太/火野正平)・お辰(三好栄子/根岸季衣)夫妻の娘・蝶子(淡島千景/尾野真千子)は、小学校を卒業するとすぐ女中奉公に出たあと、父の意向で曾根崎新地に下地ッ子にやられ、陽気な唄声と愛嬌で座持ちがうまく、17歳で芸者になると間もなく売れっ子になったはっさい(お転婆)な女の子。
いっぽう道修町(どしょうまち)の富裕な化粧品問屋維康(これやす)商店の跡取り息子・柳吉(森繁久彌/森山未來)は31歳で妻も娘もありながら、金さえあれば飲んでまわる甲斐性なし。
こういう放蕩もののドラ息子のことを、大阪では「あほぼん」と呼ぶそうです。

柳吉は蝶子の馴染み客となり、すぐに惚れ合って、道頓堀だの戎橋筋だのの〈うまいもん屋〉(この言いかた、昭和初期にはもうあったのね)を連れまわすものだから、早々に金に困る。柳吉の父(小堀誠/岸部一徳)は激怒し、妻は娘を連れて実家に帰ってしまう。
勘当された柳吉は蝶子と駆け落ち同然で上京、東京で集金した金を持って熱海に出奔したはいいけれど、1923年9月1日、関東大震災に遭い、帰阪。関東大震災は宮崎駿監督『風立ちぬ』にも出てきましたが、今年はドラマ『夫婦善哉』放映期間中に防災の日(9月1日)を迎えます。

蓄えで呑んでしまう柳吉の頬を蝶子は撲って出ていって、〈楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた〉。

〈「自由軒〔ここ〕のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」とかつて柳吉が言った言葉を想い出し〉
なんて、怒って出て行った行き先がダメ男のひと言に左右されてしまうのだから、蝶子はもう柳吉にぞっこんなんだなー。
〈まむしてある〉とは「まぶしてある」ということ。自由軒(大阪市中央区難波3-1-34)のカレーはルーとライスが完全に混ざった均質な状態でお皿に平べったく盛ってあり、その中央に窪みを作って、そこに生卵が落としてあります。これをさらに混ぜて食べる。せっかちな大阪人のために生卵で軽く温度を下げてかきこみやすくするのだ、という話を聞いたことがあります。いまやレトルトもある人気の逸品ですが、ご家庭でお召し上がりのさいにも卵を忘れずにね。


この家出から蝶子は結局すぐ戻ってきちゃう。柳吉はいびきをかいて寝てる。
〈だし抜けに、荒々しく揺すぶって、柳吉が眠い眼をあけると、「阿呆んだら」そして唇をとがらして柳吉の顔へもって行った〉
って尾野真千子がこれやるの? それちょっと期待しちゃうなー。
蝶子が生活のためにすると決めた仕事はヤトナ(雇われ仲居)でした。
〈ヤトナというのはいわば臨時雇で宴会や婚礼に出張する有芸仲居のことで、芸者の花代よりは随分安上り〉
ということで、特定の置屋や料理屋に所属しない、まあコンパニオンですね。
柳吉は二十歳の蝶子を〈おばはん〉呼ばわりし、将来は小さな店でも持とうと蝶子が溜めた貯金で

〈昼間は将棋などして時間をつぶし、夜は二ツ井戸の「お兄ちゃん」という安カフェへ出掛けて、女給の手にさわり、「僕と共鳴せえへんか」〉

出た! 「東の太宰・西のオダサク」と言われた無頼派だけに、『斜陽』(1947)の〈しくじった。
惚れちゃった〉に匹敵する殺し文句が炸裂します。〈僕と共鳴せえへんか〉! 森山未來がこれを言うのかー。『苦役列車』の北町貫多とずいぶん違うぞ。
将棋は家でやるのではなく将棋道場(碁会所みたいなもの)に行くんですね。安カフェっていうのはJ-POPに英語の歌詞つけてボサノヴァで女性ヴォーカルが歌っている、玄米プレートランチを出すカフェではありません。〈お兄ちゃん〉という屋号だからって秋葉原の妹カフェでもない。だから将棋→カフェというのはゲーセン→メイド喫茶ではなくて雀荘→キャバクラの流れですね。

このあともふたりの、いや蝶子の塵労は続きます。『夫婦善哉』は究極のダメ男小説で、いくら読んでも柳吉のどこに惚れたらいいのか、まったくわからない。そこが却ってリアルな恋愛小説なのです。未読のかたは、あのぜんざい屋さんがどこで出てくるか、楽しみにしててください。

そういえば石川さゆりは吉岡治作詞、弦哲也作曲のシングル「夫婦善哉」(1987)でNHK紅白歌合戦に出場したことがあります。でもこの歌の詞はただ男について行くだけの主体性のない女の独白になっていて、オダサクの小説のカラッとしたところがぜんぜんなく、じめついてます。吉岡・弦・石川トリオでも前年の神曲「天城越え」の精彩をいっさい感じさせない。たぶん題名だけあやかったんでしょう。
『夫婦善哉』って小説はこの歌みたいな「忍んでついて行きます」的な話じゃ全ッ然ないよ!

この小説を収録した文庫版は、講談社文芸文庫版、新潮文庫版、ちくま日本文学版など多数あり、収録作はそれぞれ違っていますが、どれか1冊ということなら、まずは先月出た『夫婦善哉 正続』(岩波文庫)をお奨めします。題名からおわかりのとおり、2007年に発見された続篇(別府篇)の未発表原稿を含めた完全版で読めるし、今回は続篇まで含めたドラマ化だからです。

蝶子みたいな大阪弁のズバズバ言う芸者さんって、私としてはけっこうツボなキャラクター設定なんですよね。水上瀧太郎の超傑作『大阪の宿』(1926)に出てくるお葉もそうだったなー。
『大阪の宿』も映画化されたことがあるそうだけど、私が選ぶ近代日本文学最大の萌えキャラのひとり・お葉も尾野真千子なら演じきりそう。今回のドラマ『夫婦善哉』で蝶子の芸者仲間・金八(映画では万代峰子がやった)を演じる佐藤江梨子でもいい。お葉は長身という設定だからサトエリのほうが合ってるかも。どうですかNHKさん?
(千野帽子)