世界最大データ量のメールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」。昨日に引き続き、水道橋博士編集長のインタビューをお届けします!

前編はコチラ

───僕は「水道橋博士のメルマ旬報」で「マツコイ・デラックス」という芸人本だけを取り上げる書評連載をやらせてもらっていますけど、あれは博士が課題作を指定して、僕がそれを読んで書くかどうかを判断する形式なんですよね。
政治家になるかならないか、という話でいくと、博士が指定してくる本は全部ならないほうの芸人の本でね。
博士 そうですね。あのね、例えば話をします。ボクの中に景山民夫と高田文夫がいて、文夫の文章を一生書いていけたらすごくかっこいいけど、実はもう、俺は文夫ではいられないかなと思って最近はやってるんですよ。そろそろ文夫と民夫だったら民夫側にいないといけないと。俺は文章において洒落の目をもって、かつ叙情をなるべく書かないというルールを自分で定めていたんだけど、五十を過ぎて、そろそろ『普通の生活』みたいなものをかかないといけない年、立場になったんだなと。
あ、これ自分が偉そうに言っているみたいだけど例えですよ。

───「文夫から民夫」へってすごくわかりやすいですけど、エキレビの読者にはわからないかもしれない(笑)。

註:高田文夫と景山民夫は1980年代のお笑いブームの中で活躍した放送作家で、二人でラジオのレギュラーを持っていたこともある。高田文夫は現在もラジオ「ビバリー昼ズ」のパーソナリティーを務めるなど変わらない活躍をしているが、景山民夫は途中で作家に転じ、直木賞も受賞した。1998年に死去。

博士 景山民夫だって最初は文夫側の人だったんですよ。
でも1984年に『普通の生活』を書いて、そこからシフトチェンジしていった。「宝島」にご自分の障害のあるお子さんのことを書いていて、それは当時すごく衝撃的でした。最初は高田先生と同じで世の中の灰汁の部分だけを笑うようなことを書いていた人が、人生の辛さだとか折り合いのつかなさを書かないといけなくなった。そのことの影響が俺にはあるんです。

───浅草キッドの相棒である玉袋(筋太郎)さんは変わらず文夫側ですよね。
博士 それは変わらないと思う。
自意識がしっかりあるから。俺は97年からずっとネット側にいるでしょう。もう16年もネット側に自意識が壊れてる。そうするとリアルではない事象が自分の中に広がってくる。誰かの存在は目に入っているんだけど、その誰かとは会ったことはない。そういうことが当たり前のように起きるでしょう。
毎日、日常で自分の会える範囲のことだけで充実して、楽しめる人かと言えば、俺はそうありたいと憧れはするけど、そうではなくて、自分の関心がどんどん広がってこんがらがっていく。たとえば世間では誰も気にならない荒井カオルという人間が気になって仕方ない。そもそも、この人は男なのか女なのか、というところから。それでtwitterで荒井さんに声をかけたら、まず「私、男ですよ」って言われて。

───ネットナンパだと思われましたか(笑)。

註:荒井カオル。
「ガジェット通信」にてノンフィクション作家・佐野眞一の盗作疑惑を追及する短期連載を行い、注目を集める。「水道橋博士のメルマ旬報」では「だれが「ノンフィクション」を殺すのか」を連載中。

博士 うん(笑)。でもそういうことじゃなくて。ガジェット通信の記事を読んだときに、彼の異常なまでの処理能力のはやさ。何日間かで佐野真一の一連の本を読み直して、これとこれがかぶってる、ってわかってしまうのは何かの能力だとおもったんですよね。
それで正体不明だけどこの人には何かがあるな、と思ったんですよ。

───そういう才能を集めてきてショーウィンドウに陳列したい、というような感覚なんですか?
博士 これはもっと根が深くて、かなり早い段階で俺は、猪瀬直樹から佐野眞一問題を聞かされているんですよ。じゃあ、誰かがどこかの出版社でやったほうがいいんじゃないか、と思うけど、佐野眞一の本はあちこちの大手出版社から出ているんだから差し障りがある。荒井さんの連載だってネットのガジェット通信止まりになるわけでしょう。だったら俺がやろうかって。以前新幹線に乗って降りたら、目の前にSPに囲まれた猪瀬直樹がいたんですよ。それで都知事から「いまボクは佐野真一の検証やってるんですよ」っていったら「荒井がやってるんだろ?」って言われたんですよ。実は荒井カオルと猪瀬直樹は、信州大学出身というつながりがあるから。だから彼は猪瀬直樹批判はやらないと思う。日垣隆にも関連していた。そもそも荒井カオルは腕っこきのゴーストライターだけど正体がわからない。そういうのって誰にも見えないじゃないですか。俺には微かなつながりの線が見える。だからそれを星座にして人に見せたくなるんです。これはテレビでは出来ない。

───いま週刊文春に連載されてる「週刊藝人春秋」は、これまでの著作で言うと『お笑い男の星座』の路線なんですか?

註:『お笑い男の星座』。浅草キッド名義の著書。梶原一騎の自伝『男の星座』から触発を受けており、芸能界に燦然と輝く男たちを星座に喩えた列伝である。

博士 イメージで一番近いものに喩えると〈藝人春秋ビヨンド〉かな。

───ああ、「アウトレイジ・ビヨンド」のような。
博士 そう。『藝人春秋』の過去の話であり、人が折り合う姿だと思う。でも人間関係のすべての位相において小競り合いがある。相手を理解できず銃を向けあっている。その中でも、この人とこの人は深層でドンパチしているっていうのを今、まさに現在進行形の週刊誌の連載でやろうとしていて、その全体像のテーマのイメージはあるんですよ。

───全部通してやるとそれが浮かび上がると。
博士 俺から距離の近い人たちでも銃をつきつけあって闘争してるのが見えてるわけです。それを傍観しないで渦中の中に入ってレポートする。そういうことですね。もちろん、〈男の星座〉の要素もありますよ。ただ『お笑い男の星座』は梶原一騎ですから、講談調というか、釈台を叩きながらストーリーを語っていく文体。『藝人春秋』はそれとは違う。意図して文体を変えているんです。叙情的な要素も入っている。

───浅草キッドの著書で、お互いの文章を集めた『キッドのもと』という自伝的要素の強いものがありますが、叙情的な要素はそこから始まった印象があります。
博士 「現代の蟹工船だ」って関川夏央さんに書評された(笑)あれは編集者が間に入って、お互いが何を書くのかまったく知らせずに進めていったんです。あの本を読んだとき、俺は赤江君(玉袋)のほうがいい文章だと思ったんですよ。俺は当時、すごくメタな視点で客観的に書いていた。でも赤江くんは素直に自分語りをしている、読んだら全然そっちのほうがいい。そこに影響を受けて『藝人春秋』ではボクも傍観者に過ぎないけど批評者ではなく、照れずに真ん中にいて物語の主人公として自分を語る感じとかね。

───玉袋さんのエッセイは非常に叙情的でいいと思います。
博士 文体を持っている立派な独立した書き手ですよ。『キッドのもと』の掌編に今までと違う味わいがある。それはね、あの頃、山本周五郎をずっと読んでいたからだろうと思う。あの頃、赤江君は放送作家の友達と山本周五郎を読む会みたいなのをやっていたから。だから、行動も文章も人情小説のようになるよね、というのが、編集者的には、よく判るんです。

───それは気づかなかった(笑)。
博士 本人はどういうか判らないけどね。赤江君の文章って、彼が18歳のときから俺は読んでるからね。フランス座修業に行ったときから、膨大な日記を俺は書いているんだけど、赤江君にも「書きなよ」って言って、彼が書いたページがその中にはあるんですよ。それを読んで、おおーっ、と思った。それまでまったく文章を書かなかったひとが書くとこうなるんだ、ってのが凄く印象的だったから。その後もお互いで漫才の推敲を通して文章を行き来するわけです。リアル『アルジャーノンに花束を』というかね。長い年月を経て文章って人をこういうふうに成長、進化させるのか、と思いました。

───言語野が育っていくのを横から観察していた感じですね。
博士 あと俺の中には百瀬(博教)さんもあって、生前に獄中日記も読ませてもらった。百瀬さんは6年半獄中にいるときに、小学生の読書感想文のようであったものが最後は三島由紀夫や森鴎外のような文体に変わっていったんですよ。それでおもしろいのが最近のホリエモンで、『刑務所なう』を読むと、彼が漫画だけでなく、どんどん本を読んでいって、知識や教養がついって性格も変わっていく。それをホリエモンに「『アルジャーノンに花束を』みたいでおもしろかった」って言ったら、そのアルジャーノンが彼にはまったく通じないんです(笑)

───そこまで文化的背景が違うと逆におもしろいですね。
博士 そうでしょう。実におもしろい。

───『藝人春秋』に収録された文章ってけっこう旧いものが多くて、この本を出した後でもたくさん博士は文章を書かれてますよね。それは本にはされないんですか?
博士 杉江さんに書評で「最近の話が書かれていない」と言われた、であるならば、奮起して、まさに現在進行形をやろうと週刊文春の連載を始めた。単行本は出し時の問題だと思うんですけどね。何か世間で騒がれているときに一気に本にしてしまえば、ある程度、売れるんでしょうけど。橋下徹問題で番組降板に至る真相とかね。

───見城徹式スキャンダリズムですね。
博士 そう。『ダディ』(郷ひろみ)みたいな本にしてね。そういう妄想はしました。でも「売りたい」から書いているわけでもない。で、俺がtwitterで『藝人春秋』の感想をリツイートするのを、本を売りたくて「博士必死だね」って言う人がいるんだけど、そうじゃない。必死じゃなくて、必ず生きるほうの必生だと。必死なのは、もともと本の運命のほうで、1%以下のベストセラー作家がいて、それ以外は、ほぼ数ヶ月で99%の新刊本は書店から死んでいくでしょう。で、売れないのは出版不況のせいにして終わり。その連続ですよ。ボクはそうさせない方法があるのなら実践しようとするだけ。何故、作家が本の親だとしたら、自分の生んだ自分の子供を長く生きさせないの?まず作家が手売りからでも始めればいいのに。生鮮食料品と違って本には賞味期限はないからね。

───私は出版界に万里の長城を築く、というわけですね。
博士 それは新間寿さんが旧UWFを設立したときのキャッチコピーのパクリだよ! UWFは2年もたないで潰れたんだから縁起悪すぎだろう!
 ま、『水道橋博士のメルマ旬報』に関しては、ともかく、多くの執筆者にお願いして、膨大に排出しているのは間違いない。もうメールで読める量ではないのね(笑)25万字以上の分量を一回250円、のり弁当以下の値段で提供している。しかも腐ることもなく、スマホの本棚に並べられ、スペースをとることもない。好きな時間に好きな時間、行列や移動の時間にめくるだけでイイ。これをePub(電子書籍)で読んでもらえるのは最も快適なんだけど、その壁を乗り越えるのが難しいの。これが今の万里の長城だよね。宇宙から見たら全貌がわかるっていう(笑)
(杉江松恋)

今回エキレビ!掲載を記念して、インタビューを読んで「メルマ旬報」購読を申し込んでくださった方は9月分のみならず8月分の2号を無料でお読みいただけます。
9月11日15時から25日の10時までの間に水道橋博士のメルマ旬報にアクセスいただき、「エキサイトレビューを読んで申し込んでくれた方」のボタンを押して購読申し込みしてください。
ちなみに、怒涛の連載陣&連載タイトルは以下の通り!
 
1.博士の愛した靖幸(構成:渡辺祐)
2.西寺郷太の『郷太にしたがえ!』〜小説 「噂のメロディ・メイカー」〜
3.樋口毅宏の『ひぐたけ腹黒日記Z』
4.山口隆(サンボマスター)『僕の創作ノート』
5.坂口恭平『首相動静〜水道橋博士への日記書簡〜』
6.竹内義和の『ゆゆも』
7.谷川貞治の『平身抵当』
8.茂田浩司の『オフレコをオンします』〜連載「ヌルヌル事件とは何だったのか」
9.杉江松恋の『マツコイ・デラックス 〜われわれはなぜ本屋にいるのか?〜』
10.柴尾英令の『シネコン至上主義 ───DVDでは遅すぎる』
11.九龍ジョー『城砦見廻り日誌』
12.高橋ヨシキの『ニッポンダンディ/悪魔で私見ですが……』
13.てれびのスキマの『芸人ミステリーズ』
14.柳田光司の『はかせのスキマ』
15.サンキュータツオの『お笑い文体論』
16.碇本学の『碇のむきだし』
17.マキタスポーツの『マキタスポークス〜どこぞの誰かへ』
18.『プチ鹿島です。名前とコラムだけ覚えて帰ってください。』
19.やきそばかおるの「会いに行ける偉人」
20.マッハスピード豪速球 ガン太の『ハカセー・ドライバー』
21.エムカク『明石家さんまヒストリー』
22.木村綾子『彼方からの手紙〜匆々〜』
23.モーリー・ロバートソン『Into The 異次元』 
24.松原隆一郎『東大でも暮らし〜柔道部松原教授のサブ・テキスト〜』
25.伊賀大介『好漢日記』
26.酒井若菜の『くよくよしたって始まる!』
27.荒井カオル『だれが「ノンフィクション」を殺すのか』
28.相沢 直の『みっつ数えろ』 
29.リリー・フランキー『著者都合により休載します』
30.土屋敏男『ライフテレビ』 
31.園子温『芸人宣言』
32.『博士の異常な日常』