「ああいうときは喋れなくなるものなの。いつまでも猫なんかと喋ってちゃいけないんだよ。
『夢と狂気の王国』が公開された。『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』が同時に制作されていたスタジオジブリに密着したドキュメンタリーだ。けれど、1998年の『「もののけ姫」はこうして生まれた。』とはすこし毛色が異なる。監督の砂田麻美が「映画にしたいんです」といって出来たものは、すさまじい愛の物語だった。
ジブリに密着といっても、映画のほとんどは『風立ちぬ』を担当するスタジオでの出来事だ。宮崎駿監督、奔走する鈴木敏夫プロデューサー、『風立ちぬ』完成に向けて働き続けるスタッフ、ジブリに住み着いた猫・ウシコ。線路の向こうで『かぐや姫の物語』を制作している高畑勲監督やスタッフは画面にほぼ出てこない。けれど高畑の印象は強烈だ。
なぜか? 宮崎と鈴木が、ずっと高畑について語っているからだ。特に宮崎はすごい。
今でも毎日、高畑について語る宮崎。
──でも、宮崎監督は、高畑監督を見捨てませんね。
「見捨ててますよ」
『風立ちぬ』を見て、泣きまくり、落ち着いてから真っ先に考えたのは「本庄ルートはどこだ?」だった。本編は菜穂子(メインヒロイン)ルート。二郎が選ばなかっただけで、どこかに本庄を攻略できるルートに行く分岐があったはずだったのに……。本庄ルート、見たいよー。
この願望は叶った。というより、すでに叶っていた。『風立ちぬ』の本庄ルートは、現実のスタジオジブリだった。
二郎が同僚の本庄とともにプロジェクトを進めようとしたとき、上司の黒川は止める。
けれどもし、二郎が反対を押し切って、本庄とともに仕事をしたら? その答えが『夢と狂気の王国』にある。
東映動画時代、宮崎を見出したのは高畑だった。三十年近く二人で仕事をして、宮崎は「青春を全て高畑に捧げた」とまで言った。しかし、1994年の『平成狸合戦ぽんぽこ』を境に、二人の名前が並ぶことはなくなった。
ジブリの女性スタッフが語る。
「自分の心の中に大事なものがある人は、宮崎監督と一緒にはいられない。自分を捨ててもそばにいたい、一緒に仕事をしたいと思う人だけが、宮崎監督のそばにいられる」
この「宮崎」を「高畑」に置き換えても同じ。絶対に譲れないものを抱え、「美しい呪われた夢」を見る二人。その二人をつないでいたのが鈴木敏夫だ。鈴木は心の中の一番大事なものを「宮崎」と「高畑」にしてしまった。
映画の中には、昔のジブリの映像が挿入されている。宮崎と高畑と鈴木が並ぶ。『耳をすませば』の監督で若くして亡くなった近藤喜文の姿もある。もはや見ることのできない光景だ。
『風立ちぬ』で二郎と本庄が一緒に飛行機をつくる「本庄ルート」があれば、夢のように美しい飛行機が完成していたかもしれない。しかし確実に二郎と本庄の関係は壊れてしまっただろう。まわりに菜穂子も本庄もいなくなって、美しい飛行機だけが二郎のもとに残る。
宮崎、高畑、鈴木らの愛の結晶、いわば「子供」のようなスタジオジブリ。ジブリの行く先を尋ねられて宮崎は断言する。「やっていけなくなる」。
宮崎も鈴木も、時代の流れを口にする。もう自分たちの時代は終わりつつある。次の時代がやってきているのだと。
「次の時代」を請け負おうとする人々のことも、映画は映し出している。
憤る宮崎吾朗。それに向かうジブリプロデューサー見習いの川上量生。鈴木が口を挟んでも、吾朗はかたくなな表情を崩さない。宮崎のいなくなった監督席に座るのは『借りぐらしのアリエッティ』の米林宏昌。
ジブリの人間ではないけれど、庵野秀明もその一人だ。二郎の声優を務めた庵野。
宮崎は引退を表明した。しかし『夢と狂気の王国』を見ると、「宮崎駿は映画から離れられない」と確信する。高畑の引退作といわれる『かぐや姫の物語』も今週末にとうとう公開されるが、試写会で見た人は「高畑監督がこれで引退するつもりなわけがない」という感想を抱くとか。
愛する相手を失う代わりに得た、美しいアニメーション。かんたんに手放せるはずがないのだ。
(青柳美帆子)