昨日発表された今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」が、「今でしょ!」「お・も・て・な・し」「じぇじぇじぇ」「倍返し」の4語が年間大賞に選ばれるという椀飯振舞となったことは、すでにご承知の通りである。ここでは、今回の賞についてはひとまず置くとして、前編に続き、1999年以降の非受賞語を振り返ってみたい(以下、文中では“非受賞語”を太字で示すとともに、新語・流行語大賞にノミネートされた「候補語」、受賞語の場合はどの部門での受賞であったかを、適宜カッコ内などに示した)。


■1999~2003年 「ミレニアム」を記念して「二千円札」が登場
1999年、「LOVEマシーン」の大ヒットで国民的アイドルにまでのぼりつめた「モーニング娘。」。新語・流行語大賞では「おニャン子」(1986年、流行語部門・大衆賞)も「AKB48」(2010年、トップテン入賞)も受賞しているのだから、モー娘。が受賞していてもおかしくなかっただろう。固有名詞にもかかわらず末尾に「。」をつけたのも斬新だった。

この年はまた、「美白」「ガングロ」という、まるっきり正反対のブームも起きたことでも記憶される。前者の象徴的存在として鈴木その子がさまざまなメディアに登場した。


続く2000年は、新たな「ミレニアム」(千年紀)到来の年であった。これにあわせて発行された「二千円札」はもともと、パルコが毎年発行する「御教訓カレンダー」の「二千円札が出まわっているので御注意下さい」という投稿(「ニセ札」と「二千円札」を引っかけた)が発端となったという、ウソのようなホントの話も残っている。年代は変わっても、バブル崩壊からの日本経済の停滞は続き、「失われた10年」という言葉が人々の口にのぼるようになった。

2001年、SMAPの稲垣吾郎が駐車違反・公務執行妨害の容疑で逮捕された。それを伝えるテレビのニュースなどでは、「稲垣容疑者」ならぬ「稲垣メンバー」という呼称が使われ物議をかもしている。同様の騒ぎは、2004年に島田紳助が傷害容疑で書類送検されたのを受け、「島田司会者」といった呼称が用いられたときにも繰り返された。


2002年の時事用語をとりあげた『現代用語の基礎知識2003』には、「ビミョー」という言葉が収録されている。この頃から使われていたはずの「真逆」(2004年、候補語)などもそうだが、この手の誰が言い出したのかはわからないが、いつのまにか浸透した言葉も、もっと新語・流行語大賞で選ばれたらいいのにと思う。もっとも、かつて新語・流行語大賞の審査員も務めたコラムニストの神足裕司が、同賞について《マン・オブ・ザ・イヤー的性格をもっているとつねづね思っている。/まさしくその年の顔なのである。受賞者たちの生き様は言葉よりはるかに強い》(『現代用語の基礎知識2014』別冊付録『流行語大賞30周年』)と書いていることから察するに、この手の“詠み人知らず”の語は賞の対象になりにくいのかもしれない。

2003年の新語・流行語大賞では、この年オープンした「六本木ヒルズ」も候補にあがった。
その開発を手がけた森ビルは、1986年にやはり六本木の「アークヒルズ」で受賞している(新語部門・表現賞)。高度成長期以降の宅地開発は郊外を中心に行なわれた。そこで生まれた丘陵地の新興住宅地が「~が丘」「~台」などと名づけられたのに対し、森ビルは都心回帰・職住接近を謳い、六本木ほか東京の各地区に「ヒルズ」を建設することになる。そこに住む「富裕層」(2005年、トップテン入賞)は、「ヒルズ族」(2005年、候補語)と呼ばれたりした。近年ではその“進化型”として「ネオヒルズ族」なる語も派生している。

■2004~2008年 「おしゃべりクソ野郎」命名で復活、「ひな壇芸人」に
平成のヒット曲で、2003年にシングルカットされ、翌2004年にかけて大ヒットしたSMAPの「世界に一つだけの花」(槇原敬之作詞・作曲)ほど、論者たちからツッコミを入れられた曲もないのではないか。
たとえばノンフィクション作家の高橋秀実は、同曲の背景にある《それぞれが自分らしく生きればいいという発想も、間違いなく少子化を加速する》などとコラムに書いている(『結論はまた来週』)。ちょうどこの時期には、2002年より実施されていたいわゆる「ゆとり教育」について見直しを求める声が強まり、そのカリキュラム、あるいはゆとり教育を受けた世代を批判する言説のなかで、この曲が引き合いに出されることも少なくなかった。

2005年は、「平成の大合併」(同年、候補語)の掛け声のもと、全国で市町村合併があいついだ。そこで誕生した南アルプス市や四国中央市などといった、伝統的な地名からかけ離れた新市名に対しては批判も見られた。なかでも、愛知県の南知多町と美浜町に合併話が持ち上がった際、新市名の候補としてあがった「南セントレア市」には、ネットを中心に嘲笑的な反応が起こっている。これは同年に開港した中部国際空港、通称「セントレア」の南部に位置することから発案されたものだが、結局、合併の計画自体が白紙に戻され、幻の市名となった。


2005年には「ブログ」がトップテン入賞を果たし、ネットはますます人々の生活に定着したが、そのなかで、記事に対し非難の書きこみが殺到する「炎上」もあちこちで見られるようになった。

「格差社会」という語がトップテンに入った2006年、いわゆる就職氷河期世代が、第一次大戦後のアメリカで流布された語になぞらえて「ロストジェネレーション」と呼ばれたりした。ちなみに同年の候補語には、「YouTube」などに混じって、桜塚やっくんの「がっかりだよ!」や、みのもんた司会の番組名から「ズバッ」といった語が入っており、いま見ると寂しい。

2007年の非受賞語には、「おしゃべりクソ野郎」をあげたい。これは元猿岩石の有吉弘行が品川祐(品川庄司)を指して命名したもの。有吉はこれ以降も、番組で共演したタレントたちにあだ名をつけ、「ひな壇芸人」(2009年、候補語)としてみごと再ブレイクを果たした。
この年は彼のほかにも、前年末の宮崎県知事選で当選してタレントから政治家に転じた東国原英夫(2007年には「どげんかせんといかん」で年間大賞を受賞)や、年末のM-1グランプリで敗者復活戦を経て優勝したサンドウィッチマン、あるいはプロ野球でリーグ優勝こそ逃したものの、クライマックスシリーズと日本シリーズを制覇した中日ドラゴンズなど、“敗者復活”がひとつのキーワードとなった1年であった。

2008年には、滝田洋二郎監督の映画「おくりびと」が、米アカデミー賞の外国映画賞を受賞するなど話題を呼び、このタイトルとともに納棺師という仕事が注目されるようになった。

■2009~2013年 「私のことは嫌いでも~」「~やめるってよ」――テンプレ化する流行語
2009年、ホンダ・インサイト、トヨタ・プリウスの新型車種があいついで発表され、いずれも価格が従来の車種より大きく引き下げられたことから、「ハイブリッドカー」商戦が熱を増した。この年はまた、前年からの世界同時不況のなか、雇用の維持・創出のため「ワークシェアリング」導入の動きも加速している。これにともない企業が従業員に対し副業の許可を検討するなど、労働形態もまた“ハイブリッド化”の兆しを見せた。

2010年6月、小惑星探査衛星「はやぶさ」が、小惑星イトカワを探査したのち7年ぶりに地球に帰還した。日本の航空宇宙技術の高さを証明したこの快挙は、ブームを巻き起こし、同年の新語・流行語大賞でも候補にあがった(なお、JR東日本が東北新幹線の新たな列車名を「はやぶさ」にすると発表したのも同年)。

2011年に実施された「AKB48選抜総選挙」では、2年ぶりに1位に返り咲いた前田敦子が「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」とあいさつし、話題を呼んだ(このフレーズは「AKB」をほかの語に変えて流用されたりもした)。自分よりも所属する集団に重きを置いた点は、やはり名フレーズとして語り継がれる、長嶋茂雄の引退セレモニーでの「私はきょうここに引退いたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」とも共通する。この手の言葉が多くの人たちに受け入れられたことは、よくも悪くも日本らしい。

朝井リョウの処女小説を原作とした2012年公開の映画「桐島、部活やめるってよ」(吉田大八監督)は、口コミからじわじわと評判を呼び、日本アカデミー賞・最優秀作品賞をはじめ映画賞を総なめにした。これと同時に、ツイッターなどには、「●●、○○やめるってよ」をテンプレとした投稿があいつぎ、大喜利の様相を呈した。

もっとも、これに対して原作者の朝井は、この作品でデビューして《最も嫌なことは、(中略)Twitter上で壮絶につまらんタイトル大喜利をされ私までスベったみたいになることです》と不満を述べており、少し同情する。まあ、村上龍の芥川賞受賞作『限りなく透明に近いブルー』(1976年)が、折からのロッキード疑獄の報道で「限りなく黒に近い灰色」というふうに作品の内容とは関係なしに改変された先例もある。パロディの対象になるのは、時代の気分に見合ったすぐれたタイトルだからこそ、と考えることもできるのではないか。

今年、2013年の新語・流行語賞の候補にもあがらなかった言葉としては、「ビッグデータ」「壇蜜」、あるいは「リフレ」(「アベノミクス」の一環としてとられた「リフレ政策」と、「JKリフレ」「メイドリフレ」など新手のマッサージ店と両方の意味で推したい)などをあげておく。

前編で私は、同賞が年を追うごとに政治家の宣伝に使われるなど、風刺や批判精神が希薄になっていると書いた。しかしここへ来て、今回のトップテンでは「特定秘密保護法」が入賞し、その授賞者に“時の人”ではなく、40年以上前の外務省機密漏洩事件の当事者である元新聞記者の西山太吉が選ばれたことに、この賞をちょっと見直した。

類似の賞はときどき現れこそすれ、ここまで長く続いているものは新語・流行語大賞をおいてほかにない。来年以降もおそらく、発表されるたびに、あれがない、この言葉がないと文句をつけることだろうが、時代を映す鏡として、同賞にはブレることなくいつまでも続いてほしい。そんなことを思う、年の瀬である。
(近藤正高)