レクター博士は、各方面に影響を与えてその亜流を多数生んだだけでなく、原作者自身にも制御できない“怪物”になってしまったようだった。『羊たちの沈黙』の成功後、寡作で知られるハリスはその名も『ハンニバル』('99)という、レクター博士自身が主役といっても過言ではない最も長い長編を書き、続いて今度は『ハンニバル・ライジング』('06)でレクター博士の生い立ちを描いた。
そもそもレクターの初登場はハリスの2作目である『レッド・ドラゴン』('81)であり、ここでは完全に「魅力的すぎる脇役」という立場。余りにも魅力的だったがゆえに、続く『羊たちの沈黙』('88)では主人公を食いかねない(ダブル・ミーニングです)キャラクターとして再登場させたのだろう。というか、レクター博士のためにこそ、『羊たちの沈黙』は書かれたのに違いない。極端な寡作として知られるハリスはデビュー以来四十年間、まだ五作しか小説を発表していない。そのうちの四作にレクター博士が登場し、その割合はどんどん大きくなっているというわけだ。
しかし、個人的には小説『ハンニバル』のレクター博士には心底がっかりした。内面が詳細に描かれれば描かれるほど、「知性溢れる怪物」ではなく俗物めいて見えてくるのだ。レクター博士はやはり主役ではなく、あくまでも脇にいてこそ光るキャラクターではないのだろうか。
昨年アメリカNBCでスタートし、先頃日本でもスター・チャンネルで放送の始まったテレビシリーズ『ハンニバル』は、その名前から先の『ハンニバル』を連想し、さほど期待せず見始めたのだが、これは何と驚いたことに、『レッド・ドラゴン』以前のレクター博士を描いている。しかも『レッド・ドラゴン』の主人公であるウィル・グレアムと共に登場し、活躍するのだ。
ここで『レッド・ドラゴン』を未読/未見の方のために基本的な情報を整理するが、『レッド・ドラゴン』の物語がスタートした時点で、既にレクター博士は刑務所に収監されている。その逮捕において活躍したのがFBIのウィル・グレアムであり、ある別の連続殺人鬼を捕まえるために助言をもらおうとレクター博士を訪れることになる。そしてグレアムは、殺人現場を訪れると、殺人者の視点で現場を見ることができる驚異的な「共感能力」を持っており、それによって数々の事件を解決してきているーーという設定だ。(『羊たちの沈黙』については詳細は省くが、グレアムは出てこず、代わりに女性捜査官クラリス・スターリングが登場する)。
TV『ハンニバル』では、その共感能力ゆえか、既に極めて不安定な精神状態にあるグレアムが精神科医であるレクター博士と出会い、セラピーを受けながら、複数の猟奇事件捜査に当たることになる。いずれグレアムはレクターの犯罪に気づいて逮捕することになるーーはずなのだが、まだこの段階では上司のクロフォードもグレアムも、レクターの真の顔にはまったく気がついていない。一方レクターはグレアムという人間に極めて興味を覚えた様子で、じわじわと支配下に置こうとして策を練る。そして毎回登場するレクター以外のシリアルキラー達の犯行も相当なもの。そのえげつなさと言ったら、『デクスター〜警察官は殺人鬼〜』に勝るとも劣らぬところだろう。
レクターを演じるはマッツ・ミケルセン。デンマーク出身の、酷薄そうな顔つきが何ともレクターにはまっている。グレアム役のヒュー・ダンシーは脚本のせいもあるが少々病的すぎ、弱々しすぎるが、だからこそ生まれるサスペンスがあるのも確かだ。上司のクロフォードはなんと黒人のローレンス・フィッシュバーン。これまでのスコット・グレン(『羊たちの沈黙』)、ハーヴェイ・カイテル(『レッド・ドラゴン』)と見比べれば余りにも大胆なキャスティングだ。まあ、これまでのイメージからするとそういった違和感は若干あるものの、能力はあるが弱みを持つ捜査官と、腹に一物持ちながら彼に協力し、支配しようとするシリアルキラーの、極めて歪んだ「バディもの」として二重三重にサスペンスフルで、今後も目が離せない。
アメリカではシーズン1(13話)の好評を受けて既にシーズン2が始まっている模様。キャッチアップ放送も時々あるようだし、いずれDVDも発売されると思うので、あのかっこよかったかつてのハニバル・ザ・カニバル(Hannibalは元々cannibal“人喰い”と韻を踏んでいる)に会いたいという人はぜひ公式サイトのチェックを!
(我孫子武丸)