その瞬間、僕はJR新宿駅にいた。その直前には、赤坂の博報堂ケトルで内沼晋太郎さんと一緒に、ニュージーランド在住のアウトドアスタイル・クリエイターの四角友里さんにSkype経由で取材をしていた。
取材は14時頃に終了し、赤坂で内沼さんと別れ、高田馬場の事務所に戻ろうと丸ノ内線を経由し、新宿で山手線に乗り込んだ。

電車がゆっくりと大きく、ゆらりと揺れた。正確な時間はわからなかったが、14時46分だったんだろう。揺れは一瞬ではおさまらなかった。船上にいるかのようなゆるやかで大きな揺れが続いた。生まれて40年間で体感したことのない揺れ──。
これが僕の3・11だ。

誰にもそれぞれの「その瞬間」があったはずだ。そのとき、東日本にいた人なら克明に覚えているはずだ。単に「揺れた」からではない。その直後から起きた、経験したこともない出来事で、世の中の空気が一変し、「世界」が変わったからだ。あれから3年が経った。
でも、世界はその前には戻っていない。

2013年3月11日、11組のマンガ家によって震災が描かれた『ストーリー311』が発売された。それから1年が経った今日、第二弾となる『ストーリー311 あれから3年 漫画で描き残す東日本大震災』が書店に並んだ。
今回のコミックスには、ひうらさとる/青木俊直/うめ/岡本慶子/新條まゆ/二ノ宮知子/松田奈緒子/葉月京/ななじ眺/さちみりほ/おおや和美という11組のマンガ家が参加した。前回から引き続いて参加した作家もいれば、今回の第二弾から参加したマンガ家もいる。第一弾の登場人物のその後を描いたマンガ家もいれば、自らや家族が“被災者”だという作家もいる。
描かれたテーマは厚みを増した。

・事故の収束を願い、ただただ身をなげうって作業にあたっているのに、いわれもない非難を受ける原発作業員たち。
・「なすすべもなく彼女も黒い波に飲まれて行った」というテキストと同じコマに描かれた光景。
・「多くの家庭では──自分の敷地内で除染した土を入れた容器が行き場も無く置かれたまま」という描写。

今回の第二弾には、前作同様──いや前作にもまして、胸が締め付けられるような描写と記述が含まれている。そう、『あれから3年』にあるのは「マンガだからこそ、よりしっかりと読者に届く」震災の記憶だ。
続けて読むと、前作よりも少し強いボールを読者に投げているようにも思える。

前作に描かれていたのは、“被災者”の心象風景が多かった。もともと前作はWebでのリレー連載をまとめた作品集で、多くの作品には「震災直後」が描かれていた。だが今回の『あれから3年』は違う。この一冊のためにすべての作品は描かれ、すべての作家が、2014年の年明け早々に設定された締め切りに向けて、2013年の秋から冬にかけて取材と執筆を行った。

震災から3年が過ぎた。
この本に関わった人たちはその間の時間をさまざまなものに費やしてきたはずだ。作家はどう描けば誰をも傷けることなく、読者に伝えられるか考えただろうし、プロジェクトを推進する事務局は、どう発信すれば誰に届くのか、懸命に考えたはずだ。

今回のコミックスは、「漫画で描く東日本大震災 "ストーリー311" の第2巻をつくりたい!」というクラウドファンディングプロジェクトによって制作資金が調達された。それぞれのマンガ家が、サイン色紙やSNS用のアイコンを描くなどして、総額300万円を超える資金が集まり、海外翻訳版の出版も決定したという。思い入れだけで、支援を長く続けるのは難しい。だからこそ、さまざまな形で記憶に残す。
クラウドファンディングすら、「記憶に残す」ための手法とも解釈できる。

オビに書かれた「このコミックスの印税は全額、被災地復興のために寄附いたします。」という一文。発起人のひうらさとるはプロローグの結びの一コマに「今回もみんな迷いながら精一杯描いた作品ばかりです」と描いた。事務局のメンバーは「あとがきにかえて」で「ストーリー311プロジェクトはこれからも、「あれから」のストーリーを紡いでいきます」と書いた。迷うのは起きた事象があまりに大きすぎるからであり、自らのスタンスを軽々しく表明しないことは真剣に向き合っていることの証左でもある。

“被災地”の人とやりとりをすると、しばしば「勇気づけられているのは我々のほうだ」と思わされることがある。現地で耳にする“事実”は、明るい話ばかりではない。それでも彼らは明るく声を張る。ならばその地以外に住まう人ができることはなにか──。

正解はたぶんない。ないからこそ「支援」について考え続け、発信して誰かに問うことが必要となる。『ストーリー311』は単に読んで終わらせるような“震災マンガ”ではない。僕らが考えるべき“支援の形”の道標なのだ。
(松浦達也)