「フランスの笑いは、当たり前とされることとの真逆のことを言い、それを相手も、事実と逆だとくみ取りつつ笑う『皮肉』が基本です。日本人は冗談を言う際に、『これは冗談だ』という合図を、表情であったり何かしら分かりやすい形で、相手に送る場合が多いです。しかしフランス人は、最初から自分たちが言っていることはめちゃくちゃだという前提で話しているため、日本人のように何の合図も送らない。そのためフランス人が日本人に対して冗談を言うと、真顔のため本気と受け止められやすいです。冗談の内容も、フランスでは相手が引くくらいのことを言って、笑いに転化させることも多いです。しかし、このような文化に慣れていないと、それが『笑い』であると、なかなか通じないですね」
フランスの哲学者ベルクソンによれば、「笑い」は「社会的な罰」という一面を持つ。笑われた人は恥ずかしさを感じ、気を付け、間違いを改めようと考える。知人によれば、日本の漫才はまさにこれで、ボケ(誤った行動)をツッコミが正し、それを観客(社会)が笑う仕組みだという。そう考えると、「ボケとツッコミ」という組み合わせは、笑いにとって不可分のように思えるが、フランスは基本的に、日本の漫才のようなツッコミ役は存在しないそうだ。
需要は高いがレベルは低い。コメンテーター気取って政治に口出ししているが干されるのが怖くて政権批判しない。中途半端にやっている振りでも大事に扱われている。