池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》全3期30巻(河出書房新社)の刊行が始まった。
先に同社からは、池澤夏樹=個人編集《世界文学全集》全3期30巻(2007-11)が刊行されて、話題になった。
毎日出版文化賞を授賞している。
一般的に世界文学全集といったら、ダンテかシェイクスピア、ばあいによっては古代ギリシアのホメロスあたりまで遡って、文学史を総覧する形になっている。
いっぽう、一般的な「日本文学全集」は、明治時代の坪内逍遥か、ときには政治小説あたりから始まるものが多い。『源氏物語』とか『おくのほそ道』みたいなそれ以前のいわゆる古典文学は、べつに古典文学だけのシリーズものがある。角川書店や小学館のものが有名だ。
つまり文学全集というものは
・翻訳文学
・日本古典文学
・日本近代文学
の3分野で棲み分けている、ということになる。

コンテンツ産業としての「文学全集」については、拙著『読まず嫌い。』(角川書店)で1章を割いたのでお読みいただくと嬉しい。

さて、ところが池澤夏樹=個人編集《世界文学全集》は、世界文学全集と銘打っているが、ジョウゼフ・コンラッドからナタリア・ギンズブルグ、バオ・ニンにいたる、20世紀以降の作品に特化した「現代の古典(およびその候補)」コレクションという感じのものだった。
池澤夏樹=個人編集《世界文学全集》のもうひとつの特徴は、日本人作家として石牟礼道子の巻(『苦海浄土』)があった、ということ。
今年刊行が始まった《日本文学全集》のほうは、20世紀オンリーだった《世界文学全集》とは逆に、30巻中12巻が古典文学の現代語訳、17巻が近代文学、最終巻『日本語のために』は日本語表現のサンプル集+論集になると言われている。
古典文学の現代語訳と近代文学とをミックスした「日本文学全集」には前例がある。
同じ河出書房新社が1960年代に刊行していた『日本文学全集』がそれで、紫式部『源氏物語』の与謝野晶子訳(のち角川文庫)や曲亭馬琴『南総里見八犬伝』の白井喬二訳(のち河出文庫)が、当時存命だった三島由紀夫などと巻を並べていた。

イントロが長くなってゴメン。さて、池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》第1期第1回配本は、第1巻、池澤夏樹訳『古事記』だ。

『古事記』はいまから1200年前の712年に成立した、上中下3巻からなる史書である。史書といっても神話・伝説および歌謡を大量に含んでいる。
ストーリーテラー稗田阿礼(ひえだのあれ)が、(ひょっとしたら前後の脈絡はバラバラに)暗誦していたものを、文官・太安万侶(おおのやすまろ)が勅命によって文字に記録し、編集したもの。

古典の宿命だが、後世、どう読むかが学者によって解釈が違う部分もある。なにしろ当時の日本語は、無文字段階をようやく脱した段階だ。音節文字(平仮名、片仮名)がまだ完成していなかった。『古事記』では、先進国の文字・漢字だけをつかって日本語の音を表現するしかなかったんでそこんとこ夜露死苦。

『古事記』は子どものころ、児童向けリライトを読んだ。恥ずかしながら通読は今回が初めだ。

手もとにはずっと武田祐吉訳の角川文庫(のち角川ソフィア文庫。同レーベルでは2009年に中村啓信訳にバトンタッチ)があって、必要な箇所をあちこち拾い読みしてはきた。全部読んだフリだけしてたのだ。今年文庫になった蓮田善明訳(岩波現代文庫)を買って、さあ通読しようと思っているうちに池澤訳が出てしまった。

そういうわけで『古事記』は、通読したことがなくても話はいろいろ知ってるよ、という人は僕だけではないだろう。
・メイポールならぬ天の柱を回っての、伊邪那岐(イザナキ)と伊邪那美(イザナミ)のセックス。

・水蛭子(ひるこ)。
・国生み。
・亡妻を追っての伊邪那岐の冥界訪問(ギリシアのオルペウス神話や『ジョジョの奇妙な冒険』第4部でおなじみ「振り向くなのタブー」)。

・天岩戸(あまのいわと)。
・建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治。
・因幡の白兎。

・海幸・山幸。
・天孫降臨。
・豊玉毘売(とよたまびめ)の出産(「鶴女房」でおなじみ「見るなのタブー」)。

といったところが上巻に収められている。さすがに神話時代だけあって、上巻に有名な話が多い。倭建(やまとたける)の冒険と悲劇が出てくるのが中巻。仁徳天皇と「民の竃(かまど)」の話は下巻に収録されている。
通読してみて思ったのは、話の内容はすでに知ってても、ストーリー以外の部分、とくに固有名詞とその註がおもしろいので読むのが楽しいということ。神々や王家の系譜で名前が延々列挙され、その名前の意味が脚註で手短に紹介されるので、それを飛ばさずに読んでいく楽しみがある。
たとえば上巻で、伊邪那美は火の神である火之迦具土(ひのかぐつち)を生んだときに性器というか産道に火傷を負って病み伏せる。以下引用。 

〈病んだイザナミのゲロから生まれたのが
  金山毘古神(カナヤマ・ビコのカミ)と
  金山毘売神(カナヤマ・ビメのカミ)。
 ウンコから生まれたのが
  波邇夜須毘古神(ハニヤス・ビコのカミ)と
  波邇夜須毘古神(ハニヤス・ビメのカミ)。
 オシッコから生まれたのが
  彌都波能売神(ミツハノメのカミ)。〉

金山兄妹の註には〈鉱山の神。精錬に火を使うからここで登場したのかもしれない〉。なるほど。
波邇夜須兄妹の註には〈ハニは埴土、土器に用いる土。これも土器を作るには火を用いることからの連想〉とある。うんこって土に似てるしなあ。
古典の訳にゲロという語が出てきたのはなんか新鮮。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)に〈2LDK〉という語が出てきたときの驚きを思い出す。

脚註はときどき脱線するので、飛ばさず読もう。たとえばこうだ。
大国主(おほくにぬし)別名大穴牟遅(おほなむぢ)は、因幡の兎を助けたのち、祖父・須佐之男のもとを訪れ、その娘(つまり叔母)須勢理毘売(すせりびめ)を娶る。須佐之男は孫相手に嫌がらせのかぎりを尽くす。初日は〈蛇の室〉つまり蛇だらけの蛇ルーム、翌日は〈ムカデとハチの室〉に泊める。ひどいな。
その〈ムカデとハチ〉にある脚註がこれ。

〈古代を真似てアウトドアを体験するとこういうものの恐さがわかる〉。

 なんですかその副音声は?
「あーっとスサノヲ、今回は害虫ルーム攻撃だー! これは危ないですね、解説の竹田恒泰さん」
「そうですね、古代を真似てアウトドアを体験するとこういうものの恐さがわかりますよね」
みたいな感じなのか?
(千野帽子)