【1996年 アトランタ五輪】
「自分で自分をほめたい」

女子マラソンの有森裕子は1992年のバルセロナ五輪で銀メダルを獲得しました。しかしその後、燃え尽き症候群や故障などで成績が伸び悩みます。しかし、そこから不屈の精神力で努力し、見事にアトランタ五輪では銅メダルを獲得しました。
そのレース後に涙ながらに発した「メダルの色は、銅かもしれませんけれども(以下略)初めて自分で自分をほめたいと思います」という言葉は多くの国民の感動を誘い、その年の流行語大賞に輝きました。
【1998年 長野五輪】
「ふなき~!ふなきい…!」

スキージャンプ団体で生まれた名言。2回目のジャンプで高記録を出した原田雅彦は次のジャンパーである船木和喜へ嗚咽しながら送った声援です。原田自身、1994年の五輪(リレハンメル)の失敗を取り返す大ジャンプの直後だっただけに、多くの人が原田の号泣する姿に心を打たれました。
【2000年 シドニー五輪】
「最高で金 最低でも金」

また、現在は議員を務める谷亮子の発言も話題になりました。それまでの2回の五輪ではいずれも銀メダルだったためにこの目標を口にしました。実際にシドニーでは金メダルを獲得して有言実行を果たしました。
「めっちゃ悔しいです!金がいいですぅ」
競泳400m個人メドレーで2位入賞した田島寧子がこの発言をして一躍、有名に。しかし何を勘違いしたのか翌年に現役を引退し、女優デビューを果たします。これには周囲も冷ややかで結局はチョイ役しか与えられないまま、現在では女優を廃業しているそうです。
【2004年 アテネ五輪】
「チョー気持ちいい」

平泳ぎの北島康介が金メダルを獲得したときのインタビューで発言しました。優勝を確実視されている中で見事に勝ち切り、プレッシャーから解放された思いを素吐き出したものです。この言葉で北島は流行語大賞を受賞しました。
【2006年 トリノ五輪】
「イナバウアー」

この五輪では日本人選手が不調でした。メダル獲得数がゼロという絶望感の中、女子フィギュアで荒川静香が金メダルを獲得しました。彼女の演技には大きく上体を反らす特徴的な技がありました。この技は「イナバウアー」と呼ばれるものであり、日本でも真似する人が相次ぎました。
【2008年 北京五輪】
「何も言えねえ」

この発言は2004年のアテネに続いて金メダルを獲得した北島康介のものです。2004年のときは「チョー気持ちいい」と開放的な様子で人間離れしたメンタルの強さという印象でしたが、この北京のレース後には「何も言えねえ」と感極まった様子でした。2大会連続の金メダルへの重圧がいかに凄いかというのを垣間見ることができたシーンでもあります。
このようにオリンピックではさまざまな流行語が生まれるんですね。来年のリオ、そして2020年の東京オリンピックでも選手たちの活躍、そして新たな名言が生まれることに期待したいです。
(さのゆう90)
(「アトランタ・オリンピック総集編 1996 アサヒグラフ増刊」)
(「歓喜のメダリストたち 長野オリンピック’98」)
(「SPORTS Yeah ! (スポーツヤァ) No.002」)
(「サンデー毎日9月18日増刊アテネオリンピック全記録」)
(「金メダルへの道」)
(「北京オリンピック全記録 2008年 9/13号」)
