又吉「火花」が200万部突破した理由 巧妙に利用される「純粋」なイメージ
『火花』又吉直樹/文藝春秋

芥川賞を受賞した又吉直樹さんの『火花』が異例スピードで増刷を重ねています。なぜ「又吉的なるもの」が重宝されるのか。
前編に続きライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが鋭く分析します。

文春を「商業主義だ」とか言って批判してるのは文学史に対して無知なのでは?


又吉「火花」が200万部突破した理由 巧妙に利用される「純粋」なイメージ
(左)飯田一史さん(右)藤田直哉さん

飯田 今回、商売商売って批判されているのは文春であって又吉さんじゃないわけですよね。売り方が問題あると言われているだけで、又吉が売れ線狙って書いたという批判はされていない。作家のピュアネス(少なくともそういうイメージ)を版元がある種利用している。

藤田 というか、身もふたもないことを言えば、民間企業が本を売るんだから、多かれ少なかれ、商売でないわけではない。
『火花』を最初に評したときにも書いたんですよ。「純」を売る商売の、パラドックスな感じが、作中にもあることを。
「本当に純粋さを追及するとこうなるよ?」と、売れない失敗したお笑い芸人の姿を、成功して売れているお笑い芸人の又吉さんが描き、それがものすごく売れるというのは、それ自体が、悪いジョークみたいで……。

飯田 僕らはふだん数字に追われて生きているし、生きていくうえではカネをかせいでいかなきゃいけない。すると、商売とか抜きにした純粋な精神性の結晶みたいなものがあってほしいという願望が生まれる。文学は世間レベルではそういうイメージをいまだに背負わされている。売れ線のものや商業主義が批判されるのはそういうことで。
 マーケティングしてつくったものは否定的に語られて、「そんなことは考えずに作りたいものを作りました」って言うとほめられる。


藤田 そうなんですよね、「文学」や「芸術」は、商業や権力から自由であってほしいという期待が社会から担わされているんですよね。ぼくは、その期待は、良い期待だと思うし、それに応えるために努力するべきだと思う一方、食えないと死ぬという生臭いリアルもあるので、困っちゃうんですよね。

飯田 「文化のかおりがするけどこむずかしくない」「文化のかおりがするけど商売くさくない」というのが今回の破格の部数になるためには重要だった。ふつう、商売っ気を減らしていくと、わかりやすい売りどころをなくしていく。純粋な精神性とか、知的営為の結晶とかをめざすとむずかしくなっていく。そこに来てむつかしい雰囲気がしないのにガチ度が高い文化の香りがして、かつ商売くささがあんましない人って重宝される。
又吉はジャストだった。「又吉自体はピュアで、それを利用しているのが文春と吉本である」という構図ができるのがいちばん売れるんです。

藤田 ちなみに『文學界』創刊の1933年って、プロレタリア文学の影響や、後に国策文学に繋がるような弾圧があって、そのときに「芸術至上主義」を貫くためには、経済的に自立することが必要だったという考え方だったはずなんですよ。戦後に生きているぼくらにとっては、「経済」の方が不自由を感じさせることも多いんですけど、当時はそれよりも、政治や権力から自立することが最優先で、そうやって政治的介入からの「純」を保つ必要があった。

飯田 商売のことばかりクローズアップされるということは、逆に言えばそのへんのことが忘却されているわけですね。

藤田 ただ、戦後は商業主義やジャーナリズムがまた別の権力となるような状況なので、「純」が何なのかは、同じようには言えない、というのが、ぼくの認識です。


売れても売れなくても結局おいしい「文学芸人」


飯田 又吉自体は書き手としてたいへん才能がある人だと思います。ただここでは「又吉的なるもの」がテレビと出版でありがたがられる理由について深掘りしたい。彼個人の才能とは別の芸能/出版ロジックを。
 テレビ的な事情から言うと、ロケでからだ張ってみたいなものが少なくなってバラエティがひな壇化していくと、フリートークでもたせるしかない。というのが最近の流れですよね。
 ひな壇化が進むと、いろんな「業界」やめずらしい「趣味」を外側に対してプレゼンできる、おもしろおかしく紹介できるひとが求められる。誰でも知ってることを話してもおもしろくない。
でも単なるマニアが表舞台に出てきても知らないひとにはわからない。そこで「翻訳」してくれて、ついでに笑いもとってくれるひとがいるとありがたい。

藤田 アイドルもそうなりつつありますね。

飯田 アイドルもまさにそうだし、芸人だと『アメトーーク』の「読書芸人」とかになるし、サンキュータツオみたいな「学者芸人」「アニメ関係でなんかあると呼ばれる芸人」枠になる。
 いっぽうではひとが知らないことに精通していて、でもいっぽうではそれのおもしろさを知らないひとに伝えられる「芸人」は、テレビも出版社も仕事も頼みやすい。たとえすべっても、実はたいして詳しくなくても「芸人だから」で済ませられるし。

もちろん、何回もしくじったら呼ばれなくなりますが。
芸人さんはときどき「芸人ってだけでなめられてるよね」みたいに自嘲したり怒ったりしているけれど、それは「芸人=軽い、おもしろい、わかりやすい」というプラスにもマイナスにもなりうる世間の先入観から来ている。
マニアックだったり、難解そうに見えるジャンルの語り手、推薦者として起用されるときは、間違いなくそれがプラスに働いている。
文春はちょっと前に『イニシエーション・ラブ』をくりぃむしちゅーが紹介してめっちゃ売れたことがあったわけで、今回の又吉フィーバーはそれの応用編ですよね。

藤田 しかしやはり、実力の差はあると思うんですよね。TVの知名度などで部数とか反応の「上げ底」はあると思いますし、それはずるいというか羨ましいですが、テレビで成功すること自体がまず大変ですからね。

飯田 もちろん芸人としてテレビで成功するのがそもそもものすごく大変だというのはわかります。かつてであればライターが担当していた枠を芸人に奪われているだろうというひがみがあることもまったく否定しませんw
 又吉はついに「作家芸人」の真打ちがでたなと。権威に認められるだけで世間の反応がぜんぜんちがう。幻冬舎から出た劇団ひとりの小説じゃなくて、文春の『文學界』から出て芥川賞とると全然違う。エスタブリッシュメントTUEEEですよ。

藤田 又吉さんは、しかし、「本好き芸人」から、一気に、「本物」の権威になってしまった。これで、どう変わるのか。本当にエスタブリッシュメント化していったら、それはそれでつまらないですね。芥川賞受賞作家の「先生」ですよ。そんな芸人をメディアどう扱っていくのだろうか、その中で又吉さんはどう振る舞っていくのか、というところも、期待して見ていこうかなと思います。

飯田 そしてマキタスポーツが「売れない小説を書いてる芸人」枠として同じ「文學界」にいて、それを本人はすでにラジオとかでネタにしているというw なんだよ! 売れても売れなくてもおいしいじゃないか! ……と思って見ています。

藤田 そうそう、「芸人に書かせたら話題になるんだろ」って揶揄している人たちに、「じゃあマキタスポーツさんは……」って、いっつも内心思ってましたよw

飯田 マキタさんも芥川賞を狙ってほしいw

藤田 芸人だから芥川賞が獲れるというのなら、今後続出するのかもしれないですが、ひょっとすると今後全然そういう例がないかもしれない。そうしたら、又吉直樹の「火花」は、芥川賞の歴史の中で特筆されるべき例として、記憶されると思います。

「芸人」の次はどこから作家がリクルートされるのか?


飯田 前田司郎や川上未映子など、少し前まで演劇や音楽から書き手が純文学にリクルートされていたと思ったら、こんどは芸人かよ、という感じもありますね。

藤田 そうですね、ゼロ年代は、オタクカルチャーや演劇などの書き手を、純文学は積極的に受け入れてきましたよね。「純文学」って、貪欲なんです。なんでも受け入れたり、手を伸ばす。本当は「純」と言いながら「雑」なんです。猥雑で、雑種的で。それでも芸術至上主義的で、でもお金を稼がないと生きていけない。そういう矛盾した場所なのが、ぼくにとっては結構好きなところでして、

飯田 基本的には「商売なんて関係ねえ」という感じでやっているのに年に2回ショーアップされる芥川賞があって、そのときは祭りになって一気に稼ぐという、ふしぎな構造。

藤田 芥川賞は、ショーですよね。一応、文学賞としての格(デビュー済みの新人作家に与える賞)として同じぐらいの位置にある、三島由紀夫賞とか、野間新人賞も、同じぐらいメディアが騒いでくれたらいいのにな、と時々思いますよ。

飯田 しかし演劇、音楽、芸人とか来たらもう、刈り取れる場所はないんじゃないですかね。他ジャンルから引き抜いてこられそうなのって、もはやスポーツ選手かアイドルくらいじゃないですか。アイドルも純文学はむずかしそうだけど。

藤田 アイドルには、ぜひ純文学を読んで、書いてほしいですね。アイドル的人気となって、社会現象となった綿矢りささんという例もありますから。あれは文学者がアイドル化したわけだけど、今度は、アイドルが文学者化したらいい。全然歓迎ですよ。ぼくが言う立場じゃないけど(笑)。
 実際、それぞれの業界の楽屋裏の色々な話とか、特殊な感性とか言語感覚とか、他人から見たら、「文学的に面白い!」ってこと、いっぱいありますからね。

飯田 さっきの「翻訳できるひとがほしい」話は逆もそうで。又吉さんはお笑いの世界のことを純文学に翻訳できたから評価された。それは両方のことわからないといけないから、大変ですよ。両方わかるひとが評価されたり、注目されるのは、そりゃそうでしょう。

藤田 そうですね。これをきっかけに、「文学で一旗揚げよう!」って動機ででもいいんで、文学作品を読む人、書く人が増えたら、ぼくは嬉しいですよ。「文学アイドルを目指す!」って人がいたら、是非、個人レッスンをしますので、ご連絡ください。(※うそです)