舞台となったのは、1996年7月21日、東京ドームで行われたプロ野球オールスター第2戦。この日、イチローはノーヒットだったものの、最後に最大の見せ場がやってきました。なんと9回2死から投手としてマウンドに上がったのです。
【事故で断念 イチローの過去】
そのときの様子を振り返る前に、イチローの投手への憧れが強い理由をご紹介します。元々イチローは学生時代、ずっと投手でした。高校3年の春には、エースとしてセンバツ出場も果たしました。しかし、そんなイチローに転機が訪れます。通学途中に交通事故に遭い、大怪我を負ってしまいました。
この事故をきっかけにフォームを崩したため、投手を断念せざるを得なかったのです。
【松井vsイチローは実現せず】
しかし打者1本となったイチローの活躍はみなさんの知っている通り。とはいえ不運な形で投手を諦めなければならなかったイチローは、投手への憧れがありました。
そんなイチローが初めてプロの場で登板したのが、先述の1996年オールスターでした。
パ・リーグが4点リードして迎えた9回表2死、日本ハムの西崎が松井を迎えると、パ・リーグの仰木監督がピッチャーの交代を告げ、イチローがコールされました。
イチロー登板で東京ドームは最大の盛り上がり。
しかし、この松井・イチローの対決は実現しませんでした。イチローがピッチング練習を始めるや否や、セ・リーグの野村監督はベンチから出て、松井と一言二言言葉を交わすと、松井はベンチへと下がってしまったんです。なんでも「イチローと対戦したいか?」と野村が尋ねたところ、松井が「したくない」と答えたため、ベンチへと下げたそう。
松井の代打として投手である高津を送ったところにも、「オールスターは真剣勝負の場」と考える野村の抵抗が伺えます。
【全球ストレート勝負】
ピッチング練習145キロも記録したイチロー。最終的に高津をショートゴロに抑えました。
しかし当のイチローは、松井との対戦を望んでいたらしく、代打高津について「気持ちが萎えた」というようなことを後の松井との対談で語っていました。
最後にイチローは野手の投手起用についてどう考えているのか。2013年に対戦相手の野手が登板し、対戦の可能性があったことについてこう述べています。「絶対嫌ですよ。そんなん、野手ならだれだって嫌です」
(さのゆう90)
「Number(ナンバー)876号 イチロー主義 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー)) 」