マイケル・ジョーダンが11年ぶりに日本に来日し、15日にはイベントに出席したことが報じられた。
かつてNBAのスター選手だったマイケル・ジョーダンの人気は今でも本国アメリカのみならず、日本でも高い。
今回は彼の活躍ぶりを振り返るとともに、日本で話題となった事柄についても注目したい。

NBAの歴史を塗り替えたマイケル・ジョーダン


NBA界で大きな成功を収め、「バスケットボールの神様」と崇められるマイケル・ジョーダン。通算10回のシーズン得点王を獲得し、幅広いオフェンススキルを持っていた。鋭いドリブルで切り込んでのシュートや、空中でディフェンダーをかいくぐって特点を決めるダブルクラッチなど、他の選手には真似できないプレースタイルを得意にした。特にファンを魅了したのが、"Air"と称されるダンクシュート。フリースローラインから踏み切って、リングへとぶち込むプレーは圧巻だった。
ちなみにこの"Air"から生まれたのが、大人気バスケットシューズ「エア・ジョーダン」である。

こうした彼の活躍はチームにも活気を与え、常に上位を争うようになった。彼が所属するシカゴ・ブルズは1991年から1993年までと1996年から1998年までの間で2度の3連覇を果たしている。圧倒的な強さを誇るチームの中心はやはり彼で、どの優勝時もファイナルMVPを受賞した。

語り継がれる伝説のプレー


マイケルジョーダンの凄さはここ一番の場面で見せる勝負強さにもある。優勝がかかった試合で、へとへとになりながらも大量得点を個人で奪い、勝負を決めた試合もあった。また、試合終盤になればなるほど彼の得点能力は高まっていき、観客のボルテージとともに自身もコンディションをあげていく様は神がかっていた。このあたりの逸話が彼のスター性に拍車をかけていった。


特に伝説に残っているプレーがある。1998年のNBAファイナル第6戦、試合終了間際にジョーダンは相手選手からスティールすると、そのままボールを運びシュート! 残り5.2秒、このジョーダンのゴールで逆転に成功したブルズは6度目の優勝を決めたのだ。このシュートは「The Last Shot」と呼ばれている。

MLBにも挑戦? 意外なジョーダンの過去


また、彼の遍歴には思わず笑ってしまいたくなるくらいのインパクトがある。彼は1993年に突然引退表明をして、実はバスケットボール業界を一旦離れているのだ。父親の不慮の死が原因ではないかと噂されたが、その後彼はさらに世間を驚かせる行動に出る。なんと、突如としてメジャーリーグへの挑戦を表明したのだ。

MLBはさすがにプロのレベルの壁が高かった。しかし、黙々と練習をこなした結果、成績も向上していき、このままさらに練習すれば通用するのではないかという声もあった。ただ、この頃にMLBストライキが起き、面倒に巻き込まれたくなかった彼はNBA業界へ復帰したのだった。そして、復帰後の活躍は前述したようにチーム2度目の3連覇に貢献するなど華々しいものだった。

日本での人気


日本でも、ジョーダンの人気ぶりが届いており、彼がもたらす文化も浸透してきていた。その代表的なものがナイキ製作のシューズ、「エア・マックス」。
シューズ業界で一躍トレンドとなり、巷ではエア・マックスを履いた若者が溢れ、エアマックス狩りが社会問題化したこともあった。

また、1990年代前半から中盤にかけて流行ったバスケ漫画「スラムダンク」も挙げておこう。この漫画ではマイケルジョーダンから影響を受けたであろうシーンが多々見受けられる。目をつぶってフリースローを決める場面などは印象的。このプレーはなんと実際に、ジョーダンが試合中に行ったことがあるらしい! これらの影響で、日本でもバスケットボールの競技人口は増えていった。

NBA界のみならず、日本の若者文化にまで席巻したマイケルジョーダン。規格外の活躍を見せる彼の姿は圧倒的な迫力とともに、当時を生きた者たちの目に焼き付いている。
今日と明日、東京都現代美術館にマイケル・ジョーダンの軌跡を辿るイベントスペース「MUSEUM 23 TOKYO」がオープンしているので、興味のある方は行ってみてはいかがだろうか。
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