しかし、そのプロデュース力はトップアイドルよりもB級アイドルに向けての方が真価を発揮していた気がする。それは未完成の方が育て甲斐があったからか、それとも単に趣味・嗜好の部分なのか……。いずれにせよ、ゼロまたはマイナスからのスタートだけに、その成功が色濃く感じるのは間違いない。
小室プロデュースにより、B級アイドルの地位から脱却してアーティストとして大ブレイクした代表と言えば華原朋美だが、今回は彼女以外の「運命が変わったB級アイドルたち」を紹介したい。
篠原涼子(東京パフォーマンスドール)
TPD(東京パフォーマンスドール)は、歌とダンスのセンスが光っていたアイドルグループ。小室とTPDは同じレコード会社であり、小室はTPDのライブを何度か視察する関係だった。TMNの『Love Train』(1991年)のPVにもTPDメンバーが出演している。そして、1992年『十代に罪はない』から小室プロデュースがスタート。翌93年には日本武道館2DAYSを成功させるまでに成長を遂げる。
しかし、これを機に小室サウンドを卒業し、メンバーのソロでの活躍が目立つようになる。
歌唱力、ダンス力、アイドルとしての輝き、すべてがトップとは言えず、『ダウンタウンのごっつええ感じ』でのバラドル的立ち回りで知名度はあったが、B級アイドル感は拭えなかった。しかしこのB級感に惹かれたのか、小室は数多いメンバーの中から彼女を一本釣り。1994年の『恋(いと)しさと 切なさと 心強さと』で世紀の大ヒットを飛ばし、一流のアーティストの仲間入りをアシストするのであった。

「ある歌詞を歌い終わる直前の、語尾に漂う魅力がすごく気になる。彼女の本心を覗いてみたいなって思った時は、もう彼女の虜になっちゃってるんです」と小室は篠原の魅力を語っている。
2年後には同じようなセリフを華原朋美に吐いているような気もするが、華原のように小室に依存せずに、井上陽水、広瀬香美、忌野清志郎など大御所の楽曲にも取り組み、これをステップとして女優としての地位も確立していった篠原涼子、実は相当賢いのではないだろうか?
西野妙子(dos)
人気バラエティ『ASAYAN』内の小室主宰のオーディション企画「コムロギャルソン」で、96年に結成されたダンスユニットdos。メンバーはtaeco、asami、kabaの3人。ヴォーカルのtaecoは西野妙子。1990年に『A級キッス』というB級ナンバーでアイドル歌手としてデビューするも鳴かず飛ばず。アイドルとしても女優としても中途半端な中、見事dosのメンバーの座を勝ち取り、一躍時の人となった。デビュー曲『Baby baby baby』はオリコン4位を記録。
それもそのはず、小室は98年に後の妻となるasamiとユニットTRUE KiSS DESTiNATiONを結成。すでに視界にはasamiしかいなかったようだから、この無気力ぶりもやむなしといったところか……。
ちなみに、kabaは言わずと知れたKABA.ちゃん。この時点ではノンケを偽装中である。
円谷憂子
アイドル雑誌『Momoco』 から生まれた『モモコクラブ』を経て1988年に歌手デビュー。この『モモコクラブ』は、工藤静香(おニャン子クラブ以前)や鈴木保奈美、西村知美、酒井法子らを輩出した80年代アイドルの登竜門的存在だ。事務所の先輩、中森明菜のバックアップも受け、歌手活動を颯爽とスタート。高い歌唱力を持ち、「特撮の神様」と称される円谷英二を祖父に持つなど素質は十分ながら、ヒットに恵まれない日々が続く。

そんな中、1996年に小室プロデュースで『Mystery of Sound』をリリース。アニメ映画『金田一少年の事件簿』の主題歌だったこともあり、17万枚を売り上げるヒットとなる。
1997年は小室プロデュース作品最後のミリオンセラー、華原朋美の『Hate tell a lie』がリリースされた年。小室時代の終焉が近づいていたのである……。
90年代の大成功から一転、2000年代に入ってからは詐欺事件を始め、数々のトラブルに見舞われた小室哲哉。現在はTM NETWORKも充電期間に入り、globeもデビュー20周年イヤーながら、 かつてのような世間を騒がす動きは見られない。
TM NETWORKの木根尚登はかつて小室のことをこう評している。
「そろそろ落ち着けよとか、丸くなれよとか、そういう言葉はあの人には意味がない」
地下アイドルまでもが乱立するアイドル戦国時代、再び小室が好みのアイドルに「手を出す」日は案外近いのかも知れない……?
(バーグマン田形)
GOLDEN☆BEST 東京パフォーマンスドール
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