1997年10月11日。この日付だけで「あの日」を思い出すプロレスファン、格闘技ファンは多いのではないだろうか? 
そう、東京ドームにおいて高田延彦vsヒクソン・グレイシーが行われた『PRIDE1』が開催された日だ。


ヒクソン・グレイシーのギャラは1億円以上!?


世紀の一戦と呼ばれたこの闘いの正式名称は「ザ・ワールド・マーシャルアーティスト・チャンピオンシップ/ヒクソン・グレイシー×高田延彦」。『PRIDE1』は、「最強」を掲げていた日本のプロレス界を代表する男と「400戦無敗」を掲げていたグレイシー柔術最強の男、この二人のリアルファイトを実現させるために生まれたイベントだ。

VIP席の値段は10万円と超破格ながら、主催者発表で4万6,863人の観客を動員。地上波中継はなかったが、パーフェクTV!(現・スカパー!)がペイパービュー放送による完全生中継を実施。日本初となる格闘技中継のペイパービューとしても話題を呼んだ。
また、この時のヒクソンのギャラは一説には約1億2,000万円(85万ドル)と言われており、勝利者賞は2,000万円。そのスケールの大きさも世紀の一戦にふさわしいと言えよう。
メディアへの影響力も大きく、プロレス・格闘技雑誌、スポーツ誌のみならず、一般週刊誌や新聞までもが大きく取り上げ、広く世間を賑わしている。

「お騒がせ女優」藤谷美和子も参加!?


その影響力の高さは主催者によるところも大きかったかも知れない。イベントの主催者は、各メディアから集まった有志たちによる実行委員会『KRS』。正式名称は「格闘技レボリューションスピリッツ」。イベント制作会社や広告代理店のスタッフが集い、小室哲哉が所属するTKトラックスの人間がスーパーバイザーを務めていた。
このためか芸能色が強く、第3試合終了後には、格闘バンドwith MIWAKOがライブを開催。メインイベント開始前には、元SHOW-YAのボーカル寺田恵子(現在は再結成中)による「君が代」の独唱があり、ラウンドガールは当時人気だったアイドルタレントの大原かおりが務めていた。
格闘バンド with MIWAKOのMIWAKOとは現在芸能活動休止中のお騒がせ女優・藤谷美和子のこと。試合を観に行った観客のニーズに応えているとは思えない謎の人選である。
パフィーを始め多くの芸能人も観戦していたが、この辺りの華やかな演出は当時ブームの真っ只中にあった『K-1』を強く意識していたと思われる。

絶不調の高田延彦、選挙落選・会社の倒産・満身創痍が襲う


試合前に発表された二人のデータは下記の通り。
ヒクソン・グレイシー(グレイシー柔術アカデミー)178cm/84kg
高田延彦(キングダム)183cm/96kg
所属の『キングダム』は暫定的なもので、正式には所属していない。というのも、高田が社長を務めていた団体『UWFインターナショナル(Uインター)』は、1996年に崩壊しており、この『キングダム』はその当時の選手やスタッフが引き継いだ団体となる。高田は新団体で公開練習等は披露しているが、試合には出場せず、この一戦のためだけに約10ヶ月間のトレーニングをしている。
しかし、大一番を前に首や腰に爆弾を抱え、右足のかかとや左肩の鎖骨も痛めてしまっていた。しかも、試合前日には点滴を打つほどの最悪の体調……。
「ベストを100だとすると20いくかいかないかのコンディション」と高田は語っている。肉体のみならず、精神状態もボロボロだったこの頃の高田。

Uインター末期の1995年には近い将来の引退を宣言し、参院選に出馬するも奮闘むなしく落選。その出馬に伴うCMへの違約金がかさむ中、業界の盟主・新日本プロレスとの対抗戦に挑み、結果、自身の団体が崩壊。
その倒産による莫大な借金も背負うなど、負の連鎖に苦しめられていたのだ。
しかも契約上の理由から、一度は決まりかけた念願のマイク・タイソン戦を蹴ってのヒクソン戦となる。試合日程も二転三転する中、モチベーションも下がっていた高田は「これから死刑台に上がるみたいな気分だった」と試合直前の状態を振り返っている。

山ごもり、ヨガ、瞑想……神秘性が高まる絶好調のヒクソン・グレイシー


対するヒクソンは絶好調。ファミリーを伴い決戦3週間前には来日し、長野県で2週間の山ごもりを開始。荒れた山道を走り、湖を泳ぐなど、大自然と一体となるトレーニングに励む。また、ヨガも取り入れており、鼻のみで超高速で呼吸を繰り返す、極限まで腹を引っ込める、脱力した肩をブンブン振り回すといった独特の動きや瞑想にふける姿は、連日連夜様々なメディアが報道、ヒクソンの神秘性を一層高めていた。

弟ホイス・グレイシーによる「ヒクソンは私の10倍強い」といった発言、日本での完璧なファイト内容、おまけにこの神秘性。この頃、ヒクソンのまとう最強幻想は最大限にまで膨張、「400戦無敗」の肩書きに十分な説得力を持たせていた。

日本の総合格闘技人気の原点!


5分12ラウンド制のこの試合、1ラウンド4分47秒、高田はヒクソンに腕ひしぎ逆十字固めで完敗を喫した。理詰めで攻めていく「いつもと同じ」ヒクソンに対して、付け焼刃の柔術対策で防戦する「いつもと違う」高田。
「幻想にのまれていた」
このコメントが物語るよう、試合前から結果は明白だった。

この時点でのタイトルの「1」は「唯一の、1番の」という意味を示しており、一度きりのイベントかと思われた『PRIDE1』だったが、この大会の成功により、『PRIDE2』『PRIDE3』とナンバーを重ねてシリーズ化、翌98年の同じく10月11日東京ドーム、『PRIDE4』にて再戦が行われている。
善戦むなしく、またも腕ひしぎ逆十字固めで高田は敗れた。
その2度の敗戦に厳しい声も多かったが、高田でなければ東京ドームでのイベントは成功せず、世間も注目しなかったはずだ。また、最強幻想を崩さなかったヒクソンもあっぱれである。
この二人の偉大なファイターがいたから『PRIDE』が誕生し、そこから日本における総合格闘技人気のブレイクに繋がったのは間違いないと言えよう。

「世界最高峰の舞台」とまで評された『PRIDE』やその後継団体『DREAM』、『戦極』も活動停止するなど、一度は消えかけた日本における総合格闘技の火だが、再び勢いよく燃え上がろうとしている。
今年の大晦日には『RIZIN』として大型格闘技イベントが復活するのだ。会場はさいたまスーパーアリーナで、フジテレビ系の地上波中継も決定。高田は『PRIDE』に引き続き統括本部長を務め、ヒクソンの息子の参戦も決定している。あれから18年、大きく様変わりした格闘技界において、あの頃の熱狂を生み出すことができるだろうか?
『PRIDE1』のためにCSアンテナを自ら取り付け、『PRIDE4』は会場生観戦している筆者にもあの頃の興奮を思い出させてくれるだろうか? 『紅白』や『ガキ使』に浮気せずに『RIZIN』を見続けたくなるだけのパワーを期待したい。
(バーグマン田形)
「PRIDE.1~1997.10.11 東京ドーム~ [VHS]」