現在、世界を股にかけて活躍中のギタリスト、「MIYAVI」。「サムライギタリスト」の異名をもつかれは、独自のスラップ奏法を駆使した圧倒的なプレイ、そしてずば抜けたヴィジュアルとセンスで注目を集めている。
そんなかれがソロデビュー以前に、ビジュアル系バンドで活躍していたことをご存じだろうか? 今回は、当時のMIYAVIと、かれが活躍していたバンド「Due le quartz(デュール クォーツ)」(※Dueの「e」はeにアキュート・アクセントが付く)について遡ってみよう。

Due le quartz人気を支えた雅〜みやび〜


1999年2月14日から2002年9月22日までの約3年間半活動した、Due le quartz(デュール クォーツ)。インディーズバンドでありながら、当時のビジュアル系シーンで絶大な人気を誇ったかれらは、国内のみならず海外にも熱心なファンを抱えていた。そんなバンド人気を支えたのが、ギタリストの「雅〜みやび〜」の存在だった。1999年6月、当時まだ17歳だった雅の加入が発表されたのは、高田馬場にあるヴィジュアル系の聖地、「高田馬場AREA」という箱だった。

上京前の大阪時代は、セレッソ大阪のジュニアユースに所属していたというMIYAVI。サッカーに明け暮れていた少年時代を過ごすも、怪我が原因でサッカーチームを離脱。その後、ギターと出会い、17歳で上京。デュール クォーツのメンバーとの出会ったことがきっかけで、バンド活動をスタートさせた。

活動が始まるやいなや、最年少ながらも作詞・作曲、編曲のすべてを手がける新星として、同シーンに大きな衝撃を与えることとなる。いま当時のLIVE映像を見返しても、雅だけ突出した存在感と華があり、ギタープレイもすでに頭一つ抜けている印象だ。

徐々に動員を増やしていったデュール クォーツは、2001年に初のワンマンツアーを開催。6月には香港のイベントに出演し、初の海外進出を果たす。
しかし、バンドが勢いにのってきた矢先の2002年、多くのファンに惜しまれつつも「SHIBUYA-AX」の解散ライブを持って、バンドの活動は幕を閉じた。

雅-miyavi-名義でのソロ活動


その後、ソロ活動を開始した雅は、「雅-miyavi-」へと改名し、2002年にソロアルバム『雅楽-gagaku』をリリース。ファンと触れ合う機会として東京ドームを貸し切ったイベントを行ったこともあった。hideを彷彿とさせる独特なファッションセンス、独特の手書き文字、ファンを「仔雅」と称するなど、独自の路線でファンを増やしていく。当時のヴィジュアル系シーンにおいて、ソロのアーティストでここまで大きな存在感を放っていたのは彼くらいだろう。

2004年には、ユニバーサルミュージックよりメジャーデビュー。シングル「ロックの逆襲 -スーパースターの条件-/21世紀型行進曲」ではロングのプリーツスカートと、シルバーのヘアスタイルが目を引いた。その後も活発な活動を続け、元歌手であるMelody.と入籍。現在ではInstagramで2人の娘を愛する父親としての姿を見ることもできる。

現在のMIYAVIは……


音楽性やプレイスタイルを徐々に進化させながら、海外でも精力的なライブを続け、2013年より表記をMIYAVIへ統一。最近では、お茶の間でMIYAVIの姿を見る機会も増えた。かつてはライブハウスでギターをかき鳴らしていた彼だが、現在は日本国内だけでなく、世界約30カ国250公演以上のライブを成功させている世界的ミュージシャンとなった。ギタリストとしてのみならず、作曲家、作詞家、さらには俳優にも挑戦するなど、活躍の場も広げている。


10代から音楽シーンで異彩を放ち続けているMIYAVI。彼が出演したアンジェリーナ・ジョリー監督の映画も、2016年に日本で公開予定だ。今後もあらゆる領域で活躍していくだろうMIYAVIの存在に目が離せない。
(野中すふれ)
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