オリジナルの「およげ!たいやきくん」はいまからちょうど40年前、1975年10月よりフジテレビの子供番組「ひらけ!ポンキッキ」で流された。同年末のクリスマスにはレコードが発売、翌年にかけて大ヒットとなり、売上は累計で460万枚に達する。この記録は日本のシングル盤の発売枚数としては最高で、現在にいたるまで破られていない。

歌手変更の結果生まれた大ヒット
「およげ!たいやきくん2015」では、白いたいやきが登場するなど最近の流行を取り入れながら、主人公のたいやきくんの恋模様が歌われている。これに対して今回と同じく高田ひろお作詞によるオリジナルの楽曲(作編曲は佐瀬寿一)では、たいやきくんが鉄板の上で焼かれる日々に嫌気がさし、店のおじさんとケンカして海へと飛び出す。こうしたたいやきくんの行動を、当時話題になっていた「脱サラ」を重ねる向きもあった。
ヒットの原因としてはまた、曲の放送中に起きた国鉄(現・JR)の長期ストライキで出勤できなかった世のお父さんたちが、家で子供と一緒に「たいやきくん」を聴いていて共感を覚えたからという説もささやかれた。もっとも、「たいやきくん」の放送開始直後に世田谷区民会館でのポンキッキ・ショーで曲のテープをかけたところ、子供たちが大合唱を始めたというから、大ヒットも何よりまず子供人気あってこそだったはずだ。
それにしても、今回の「およげ!たいやきくん2015」の歌手に藤井フミヤが選ばれたのはちょっと意外だった。オリジナル盤では、子門真人が「むぁいにちむぁいにち(毎日毎日)ぼくらはてっぱんのぉ~」と粘っこく野太い声で歌っていて、藤井の歌い方とは全然違うからだ。
そもそも「ポンキッキ」でも当初は「たいやきくん」をフォークシンガーの生田敬太郎が歌っていたのだが、キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)からレコード化が決まった際に、生田が別のレコード会社と契約していることが判明し、急遽子門に変更になったという経緯があった。
「ポンキッキ」で楽曲制作を担当していた小島豊美は、歌手変更を編成会議にかけたとき、子門の歌い方がフォーク調の生田とはまるで違うので、何か言われないか大汗をかいたという。
小島は後年、生田と子門の歌では売上が100万枚違ったと思うと語っている。「たいやきくん」が売れたのは子門のキャラクターによるところが大きいというのだ。たしかにあの歌い方に加え、アフロヘアにヒゲというルックスは当時にしてみればかなりのインパクトがあったに違いない。
「たいやきくん」のもとになった店は釧路に?
この話のほか、「およげ!たいやきくん」については、今年5月に出た『昭和のテレビ童謡クロニクル 『ひらけ!ポンキッキ』から『ピッカピカ音楽館』まで』(小島豊美とアヴァンデザイン活字楽団著、DU BOOKS)にくわしく書かれている。それによれば、「たいやきくん」は、高田ひろおが「ポンキッキ」に売りこみに来て預けていった作品の一つだったという。

現在絵本作家となっている高田は、このころより児童小説用に「たいやきくん」のアイデアを温めており、それが歌詞のモチーフとなった。もとになったのは郷里の北海道・釧路のたいやき屋だという。その店は銭湯へ行く雪道の途中にあり、帰りがけに買うたいやきは高田少年のお腹をぽかぽかと温めてくれたとか。「たいやきくん」に出てくる「店のおじさん」のモデルは東京の麻布十番にあるたいやき店の会長だと伝えられているが、店そのもののイメージは作詞者の故郷にあったのだ。
こうして書かれた歌詞に佐瀬寿一がつけた曲は、オケを録音してみると4分7秒の長さになった。
ところで、「たいやきくん」とB面の「いっぽんでもニンジン」の歌はいわゆる「買い取り」扱いとなり、歌手の子門真人となぎら健壱には印税が支払われなかったという話はよく知られる。ただし、子門には大ヒットした謝礼として100万円のボーナスが出されたとか。また作詞者の高田ひろおと作曲者の佐瀬寿一は印税契約だった。「たいやきくん」のヒット以降、「ポンキッキ」では高田・佐瀬が組んで「ホネホネ・ロック」「パタパタママ」など多くの名曲を生み出すことになる。
なお、「およげ!たいやきくん」放送当初の歌手だった生田敬太郎は2011年、同曲を自ら再現してCDをリリースした。生田の声が哀愁があって好きだったという佐瀬はこのときピアノで参加している。
(近藤正高)




