冬の高校サッカーといえば、正月にテレビ中継されるため、ご覧になられた方も多いことでしょう。また、現在の日本代表はもちろん、海外やJリーグで活躍するプレイヤーたちの多くが出場している大会でもあります。

記憶に新しいところでは、本田圭佑(ACミラン)、大前元紀(清水エスパルス)、大迫勇也(1.FCケルン)などが騒がれていました。しかし、1990年代にも「怪物」や「天才」と称された高校生たちがいました。

【レフティーモンスター・小倉隆史】


つい数年前までは、ニュースやサッカー解説などに出演していたため、ご存知の方もいるのでは。そんな小倉隆史も、いよいよ来年からは、名古屋グランパスのGM兼監督に就任するとのこと。そう聞くと、順風満帆なサッカー人生を歩んでいるように思えますが、高校卒業後は波乱万丈な現役生活を送った選手でした。

小倉の高校時代といえば、1991年・冬の高校サッカーでの全国制覇。左足から繰り出す強烈なシュートでゴールを積み重ね、四日市中央工業の初優勝に貢献しています。同大会にはチームメートの中西永輔をはじめ、前園真聖や城彰二など豪華な顔ぶれが揃っていましたが、小倉の存在は別格と言われたほど。

しかし、小倉はプロ入りから2年後、右足後十字靭帯の断裂という悲劇に見舞われてしまいます。結局、この怪我の影響もあり、その才能を生かしきれぬまま2005年に現役を引退。レフティーモンスターとまで呼ばれた逸材も、国際Aマッチでの出場機会は5試合にとどまりました。

【和製フリット・石塚啓次】


1992年・冬の高校サッカー決勝戦。三浦淳宏と永井篤志を擁する国見は、不動の優勝候補。対する京都・山城は、怪我の影響で準決勝まで控えだった天才司令塔・石塚が初めて先発出場します。

この石塚は金髪のドレッドヘアにピアス、ミサンガだらけの手には指輪までしており、多くの人に衝撃を与えました。もちろんこのような恰好は高校生では本来ありえないことです。

高校卒業後は、鳴り物入りでヴェルディ川崎(現/東京ヴェルディ1969)に入団しましたが、「ぼくを使ったら勝てるんで、よろしくお願いします」と言うビッグマウスだったり、代表メンバーに召集されるも合宿に現れなかったりとプレー以外で目立つこともしばしば。
その後、移籍を繰り返すも、高校時代のような活躍はできず、2003年に現役を引退しています。

【怪物ストライカー・森崎嘉之】


サッカー王国として知られる千葉県ですが、その名を広めたのは市立船橋の躍進と言っても過言ではないでしょう。1994年の初優勝を皮切りに、現在まで5度の全国制覇をしています。まさに名門中の名門と呼べる市船ですが、初優勝メンバーには「10年に1人の逸材」と言われた森崎嘉之がいました。

森崎は1994年・冬の高校サッカーで得点王に輝き、怪物ストライカーとして世間の注目を集めます。しかし、プロ入り後は門限破りや飲酒による体調管理のなさで試合に出られないと報道されるなど、素行不良が目立っていました。
その後、わずか2年間でJEF市原・千葉から戦力外通告を受け、1999年に現役を引退。結局、現役での出場機会はナビスコカップの1試合のみ、それもたった4分だけでした。

このように高校時代に活躍していた選手が、必ずしもプロで成績を残せるわけではないのがサッカーの面白いところ。

さて、間もなく冬の高校サッカーが開幕します。今年、94回目を迎える同大会では、どんなプロに羽ばたく逸材たちが登場するのか楽しみですね。

(ぶざりあんがんこ)
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