2010年に一度は幕を閉じたものの、2015年に5年ぶりの復活……! これは、復活を待ちわびていた多くのお笑いファン、そして日本中の芸人を歓喜させた出来事でした。

2015年大会では、敗者復活戦で決勝に勝ち残った「トレンディエンジェル」が大逆転を遂げ、見事に王者に輝きました。今回はそんな「M-1」の歴史を遡ってみましょう。
M-1の歴史を振り返る
「M-1」の創設者は、あの島田紳助。紳助は、「漫才を途中で辞めた罪悪感」から、「何か恩返ししなければ」と考えていたところ、松本人志と「単純におもろいやつを決めるコンテストがしたい」という話がのぼり、番組の構想が具体化していったといいます。
この大会、コンビ結成から10年以下のコンビ、グループを対象とする、という参加資格が存在します。M-1の舞台で芸人たちの間に走っている、あの独特の緊迫感は、「出場できるのは今年が最後」「あと2回しか出られない」といったタイムリミットからくるのかもしれません。
審査員がレジェンドだらけ!
そんなM-1王者の称号が、若手芸人にとって最高の栄誉であると見なされている理由のひとつに、審査員の存在があります。過去に審査員として参加した面々は、島田紳助、松本人志、西川きよし、中田カウス、青島幸男、立川談志、島田洋七、ラサール石井、大竹まこと、上沼恵美子、オール巨人、南原清隆など、お笑い界のレジェンドばかり。
しかし、M-1が復活した2015年の第11回大会では、「アンタッチャブル」を除く歴代のM-1王者が審査員を務め、賛否両論話題を呼びました。過去の王者がずらりと集結する様子は、M-1ファンとしては嬉しいものでしたが、参加した芸人さんや推しのコンビがいるファンの一部には、審査システムに対する不満も生じたかもしれません。
過去の王者たちの活躍
過去のM-1を観たことがある人ならばわかるように、毎年王者に輝く芸人のネタはまさに至高。王者に選ばれると、その後のテレビ番組、CM、ラジオなど活発なメディア露出が続くことで知られています。ここ数週間の間で、すでに「トレンディエンジェル」を目にする機会が増えていますよね。
そんなM-1初代王者といえば、“笑いのDNA”こと「中川家」(吉本興業)。あらゆる世代の客をうならせる圧倒的な面白さと、笑いのセンスは、他の追随を許さないクオリティの高さです。
続く2002年王者は、松竹芸能からの唯一の王者である「ますだおかだ」(松竹芸能)。そして第3回開催の2003年は、悲願の王者「フットボールアワー」(吉本興業)。3年連続出場の彼らが、見事に王者に輝いた大会でした。
この2003年大会は、M-1ファンとしては忘れることができない過去最高の大激戦が繰り広げられた大会です。優勝したフットボールアワーだけでなく、紳助が99点を出した「笑い飯」の新しさ、そして、敗者復活戦から登場した「アンタッチャブル」の勢い……。3組のどれが優勝しても文句がないような、歴史に残るバトルだったのではないでしょうか。
翌年の2004年の王者は、M-1史上歴代唯一の快挙である、“審査員全員からの単独1位評価”を達成した「アンタッチャブル」(プロダクション人力舎)。2005年は、初出場の「ブラックマヨネーズ」(吉本興業)が、2006年は「チュートリアル」(吉本興業)、2007年「サンドウィッチマン」(フラットファイヴ)、2008年、「NON STYLE」(よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京)、2009年「パングブーブー」(よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京)と続き、2010年は9回目の出場となる「笑い飯」が悲願の王者を達成しました。
2015年大会の王者に輝いたトレンディエンジェルは、2016年にどのような活躍を見せるのでしょうか? そして2016年の冬、また新たな伝説のネタが生まれることが今から楽しみですね!
(野中すふれ)
そんなM-1王者の称号が、若手芸人にとって最高の栄誉であると見なされている理由のひとつに、審査員の存在があります。過去に審査員として参加した面々は、島田紳助、松本人志、西川きよし、中田カウス、青島幸男、立川談志、島田洋七、ラサール石井、大竹まこと、上沼恵美子、オール巨人、南原清隆など、お笑い界のレジェンドばかり。
しかし、M-1が復活した2015年の第11回大会では、「アンタッチャブル」を除く歴代のM-1王者が審査員を務め、賛否両論話題を呼びました。
過去の王者たちの活躍
過去のM-1を観たことがある人ならばわかるように、毎年王者に輝く芸人のネタはまさに至高。王者に選ばれると、その後のテレビ番組、CM、ラジオなど活発なメディア露出が続くことで知られています。ここ数週間の間で、すでに「トレンディエンジェル」を目にする機会が増えていますよね。
そんなM-1初代王者といえば、“笑いのDNA”こと「中川家」(吉本興業)。あらゆる世代の客をうならせる圧倒的な面白さと、笑いのセンスは、他の追随を許さないクオリティの高さです。
続く2002年王者は、松竹芸能からの唯一の王者である「ますだおかだ」(松竹芸能)。そして第3回開催の2003年は、悲願の王者「フットボールアワー」(吉本興業)。3年連続出場の彼らが、見事に王者に輝いた大会でした。
この2003年大会は、M-1ファンとしては忘れることができない過去最高の大激戦が繰り広げられた大会です。優勝したフットボールアワーだけでなく、紳助が99点を出した「笑い飯」の新しさ、そして、敗者復活戦から登場した「アンタッチャブル」の勢い……。3組のどれが優勝しても文句がないような、歴史に残るバトルだったのではないでしょうか。
翌年の2004年の王者は、M-1史上歴代唯一の快挙である、“審査員全員からの単独1位評価”を達成した「アンタッチャブル」(プロダクション人力舎)。2005年は、初出場の「ブラックマヨネーズ」(吉本興業)が、2006年は「チュートリアル」(吉本興業)、2007年「サンドウィッチマン」(フラットファイヴ)、2008年、「NON STYLE」(よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京)、2009年「パングブーブー」(よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京)と続き、2010年は9回目の出場となる「笑い飯」が悲願の王者を達成しました。
2015年大会の王者に輝いたトレンディエンジェルは、2016年にどのような活躍を見せるのでしょうか? そして2016年の冬、また新たな伝説のネタが生まれることが今から楽しみですね!
(野中すふれ)
過去のM-1を観たことがある人ならばわかるように、毎年王者に輝く芸人のネタはまさに至高。王者に選ばれると、その後のテレビ番組、CM、ラジオなど活発なメディア露出が続くことで知られています。ここ数週間の間で、すでに「トレンディエンジェル」を目にする機会が増えていますよね。
そんなM-1初代王者といえば、“笑いのDNA”こと「中川家」(吉本興業)。あらゆる世代の客をうならせる圧倒的な面白さと、笑いのセンスは、他の追随を許さないクオリティの高さです。
続く2002年王者は、松竹芸能からの唯一の王者である「ますだおかだ」(松竹芸能)。そして第3回開催の2003年は、悲願の王者「フットボールアワー」(吉本興業)。3年連続出場の彼らが、見事に王者に輝いた大会でした。
この2003年大会は、M-1ファンとしては忘れることができない過去最高の大激戦が繰り広げられた大会です。優勝したフットボールアワーだけでなく、紳助が99点を出した「笑い飯」の新しさ、そして、敗者復活戦から登場した「アンタッチャブル」の勢い……。3組のどれが優勝しても文句がないような、歴史に残るバトルだったのではないでしょうか。
翌年の2004年の王者は、M-1史上歴代唯一の快挙である、“審査員全員からの単独1位評価”を達成した「アンタッチャブル」(プロダクション人力舎)。2005年は、初出場の「ブラックマヨネーズ」(吉本興業)が、2006年は「チュートリアル」(吉本興業)、2007年「サンドウィッチマン」(フラットファイヴ)、2008年、「NON STYLE」(よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京)、2009年「パングブーブー」(よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京)と続き、2010年は9回目の出場となる「笑い飯」が悲願の王者を達成しました。
2015年大会の王者に輝いたトレンディエンジェルは、2016年にどのような活躍を見せるのでしょうか? そして2016年の冬、また新たな伝説のネタが生まれることが今から楽しみですね!
(野中すふれ)