時は、渋谷系全盛期。
一方、この時代は無骨なロックも魅力的。98年のフジロックにて「俺達が日本のミッシェル・ガン・エレファントだ!」と咆哮した、ミッシェル・ガン・エレファント。イカ天出身のブランキー・ジェット・シティが、後のバンドへ与えた影響も大きい。私も、一リスナーとしてこの手のバンドにハマっていた。
そんな時、年長者から「あんなバンド、20年くらい前にはゴロゴロしてたんだよな」という一言を聞いてしまう。
どこで、こんなバンドがゴロゴロしていたのか? それは、福岡だという。この地ではミュージシャンがガラパゴス的に育まれていたらしい。このムーヴメントを、俗に「めんたいロック」と呼ぶ。
もちろん、筆者は後追いで学習する。ARB、THE MODS、TH eROCKERSなどが名を連ねていた80年代初頭福岡勢の過去作を聴いてみる。だが、正直どれもピンと来ない。
そんな中、ようやく手に取ったのがルースターズの1stであった。明らかに、他のバンドとはクオリティが違う。いきなり1音目から持ってかれてしまう。日本ロック史上最高のドラマー・池畑潤二によるドラムのリズムは刺激的で、そこにソリッドなギターが雷鳴のように切り込む。決め手は、蒼さをはらむ地声で「テキーラ!」と絶叫するヴォーカリスト・大江慎也。
もし興味を持った人がいたならば、是非とも手に取っていただきたい。人生変わっちゃうから。私は、人生が変わってしまった。
チバユウスケは大江慎也に憧れている
実はミッシェルもブランキーも(ついでに言えば甲本ヒロトも)、ルースターズから多大な影響を受けている。
特に、ミッシェル・ガン・エレファント。「メンバー全員がスーツを着て、ヴォーカリストが地声でがなる」というスタイルは、まさにルースターズが発明したものである。1stアルバムのジャケット写真(画像)をご覧いただきたい。メンバー全員がパリッとスーツでキメ、額に入った剃りこみは猛々しい。
そして、地声でがなる歌唱法。これは池畑のドラムがあまりに大音量で「ヴォーカルが聴こえなくなるからもっと抑えてほしい」と大江が注文を出すも、「ならばドラムより大きい声を出せばいい」と池畑が言い返したことから出来上がったスタイルである。
チバユウスケの声に惚れているファンは多いと思うが、遡るとそういうことだ。今では大江とチバがステージを共にすることも珍しくない。蛇足だが、ベンジーはドラマーに池畑を擁した「JUDE」というバンドを2002年に結成している。
鮎川誠が驚く「大江がリードギタリストじゃない!?」
ルースターズは1979年に結成されたバンドだが、その前身に「人間クラブ」というバンドが存在する。
ヴォーカル:南浩二、ギター:大江慎也、ギター:花田裕之、ベース:井上富雄、ドラム:池畑潤二という陣容で始動した同バンドだったが、次第に大江の中で歌いたい欲求が膨らんでいく。その後、大江をヴォーカリスト兼リズムギタリストに据え、南を抜かした4人のメンバーでルースターズはスタートした。
言っておくが、大江はギタリストとして超A級だ。以前より大江のギターの腕前を知っていた鮎川誠は、ルースターズで大江がリードギタリストを務めない事実を知り、驚いたというエピソードもあるほどである。
とはいえ人間クラブの音源を聴くと、はっきり言って冴えてない。南のヴォーカリストとしての素養には、首を捻らざるを得ない。
謎の理由で、大江慎也の精神が変調をきたす
繰り返しになるが、1980年にリリースされた1stアルバム『ROOSTERS』は素晴らしすぎる。「日本のロック名盤」なる企画が音楽誌で展開されると、今でも必ずランクインするほどの名盤だ。もちろん、2ndアルバムのクオリティも異常に高い。3rdも最高!
しかし、一般層にルースターズがどれだけ浸透しているかといえば、誇れるものではないだろう。その原因として挙げられるのは、リーダー・大江の精神の変調にある。
石井聰亙監督の映画『爆裂都市 BURST CITY』(1982年)にて俳優デビューを果たしたまでは快調だった。しかし、次第に「笑みを浮かべながら壁に頭を打ちつける」などの奇行が目立ち始め、神経衰弱によって精神科へ入退院を繰り返すようになった。
彼の体調不良については、ファンの間でいくつもの説が憶測で飛び交っている。
・バンド躍進による目まぐるしい環境の変化が、精神のバランスを崩させた
・恋人との別離
・内田裕也に「なんでいつもそんなに面白い顔をしてるんですか?」と言い放ち、内田を慕う安岡力也から制裁される
などが原因として挙げられるのだが、どれも憶測の域を出ない。(ちなみに大江の元恋人は、現在の奥田民生夫人であるという噂もある)
何にせよ、大江の精神状態によってバンドは休止を余儀なくされ、1983年には池畑が、1984年には井上が、ルースターズを脱退した。
広く受け入れられないまま、終焉を迎える
またメインソングライターである大江が作る曲にも、病的な雰囲気が漂うようになる。3rdまではローリング・ストーンズやドクター・フィールグッド等を下敷きにした“最新型”のストレートなロックを響かせていたが、4thからは当時流行していたニューウェイブ色を強くし始める。代表曲「C.M.C」や「ニュールンベルグでささやいて」の歌詞も、明らかに正気ではない。
とは言え、高クオリティなのに変わりはない。1984年にリリースされた『Φ PHY』は、一部で最高傑作と評価されるほどの完成度を誇った。
しかしライブでは、マイクの前に立った大江が一向に歌い出さず、しびれを切らした花田がギターを床に叩きつけてステージを去るなど、歯車の狂いを隠せなくなってくる。
そして1985年、大江はまたも精神病院に入院し、そのまま脱退。花田が大江の代わりにリード・ヴォーカルを務め活動は続行されるも、1988年にルースターズは解散してしまった。
2002年に発行された別冊宝島「音楽誌が書かないJポップ批評18『BOφWYと日本のロック』」にて、ルースターズ・ファンであるライター・根本桃GO!氏が書いたBOφWYとルースターズを比較するコラムが面白いので、ここで少し引用してみたいと思う。80年代初頭に上京し、新宿LOFTを拠点に活動していた2バンドを対比させた文章である。
「MCにおいて、大江はただ一言『こんばんは、ルースターズです』だが、氷室は『ライブハウス武道館へようこそ』と言葉ひとつにも意図を込めてしまう。取材への対応もそう。『好きな音楽は?』と問われ、大江はさくっと『ハウリン・ウルフ』なのだが、氷室は『オレってけっこうB級ポップとかB級の映画とかさ、カルトみたいなモノが好きなんだよ』と要らぬことまで付け加えてしまう」
「この差、この隔たりは『ロックな佇まい』として途轍もなく大きい。『佇まい』の語義とは『そこにある様子』ということであり、大江の場合まさしく『そこにただいる』だけでOKという感じなのだが、氷室の場合は『なんとかそこにいようとしている』という頑張りが伝わってきてしまうのだ。佇んでいるだけでルースターズはロックだったが、BOφWYはロックであろうと意図した分だけ中途半端なロックで終わってしまった。
ルースターズ派からすると、溜飲の下がる洞察である。そして、ルースターズが一般層へ受け入れられなかった要因が、上記の文章にはよく表れていると思う。
大江慎也は、現在も精力的に活動中
不在の年月が長いほど、待望論は高まっていく。フォロワーであるミッシェルやブランキーが人気を獲得しているのだから、尚更。
2004年、ルースターズはフジロックにて「ラストライブ」を敢行した。大江の人相は変わり果て、あの童顔はまぎれもないおじさんのものになってしまった。鋭敏なリズムが持ち味のバンドだったのに、大江のヴォーカルはまるでリズムに乗れていない。声もこもりがちで、何を歌っているのかはっきり聴き取れない。
でも、カッコいい。ギターを持たせ、マイクの前に立たせると、やはり大江慎也だという感じがする。明らかに後追いであろう若きファンが、縦ノリで「テキーラ!」と拳を突き上げているサマは感動的であった。
実はルースターズ、2014年のフジロックにもオリジナルメンバーで出演しており、変わらずパワフルなステージを披露している。
また大江慎也はソロアーティストとして、現在も精力的にソロライブを全国で敢行中だ。
(寺西ジャジューカ)