若手時代から速さを見せつけ、狂気と色気を魅せる走りとレースに全てを注ぎ込む求道者の顔が多くの者を魅了した。しかし、そのセナは1994年のサンマリノGPで命を落とす。あの時何が起こったのか振り返りたい。
移籍したアイルトン・セナに大きな誤算
セナといえばホンダエンジンとの組み合わせが有名。しかしホンダは1992年にF1を撤退したため、セナはウイリアムズ・ルノーへと移籍した。
だがウイリアムズ・ルノーは、チャンピオン獲得に大きな役割を果たしていたアクティブ・サスペンションが1994年シーズンから禁止となり、力を大きく落とす。
セナも事故死する前、同僚のゲルハルト・ベルガーに「マシンをドライブするなんてことはできないよ。パフォーマンスは最悪で、まだ乗りこなせていない」と語っていた。
予選で事故が相次いだサンマリノGP
そして迎えたサンマリノGP。ここで相次いで悲劇が起きてしまう。
金曜日の予選一日目、ルーベンス・バリチェロが事故を起こし病院へ搬送されてしまう。そして予選二日目にも悲劇が。
タイムアタック中のローランド・ラッツェンバーガーが走行中にコントロールを失い、コンクリートウオールに激突してマシンは大破。ラッツェンバーガーは病院に搬送されたが、ほぼ即死の状態で亡くなった。
F1レースでの事故死は1982年以来であり、セナは恋人に「走りたくない」と話していたそうだ。
サンマリノGP本戦 アイルトン・セナの死
大きな事故が連続したサンマリノGP予選だったが、セナはポール・ポジションを獲得した。順調な走りを見せ首位を走っていたが、7周目にコーナーを曲がりきれず、右脇のコンクリートウォールに激突。セナはヘリコプターで病院に緊急搬送されたが、事故発生から4時間に帰らぬ人となってしまった。
アイルトン・セナの事故原因は不明?
セナの事故原因として、ステアリングの破損やタイヤの内圧など様々な要素が挙げられたが、現在もはっきりとしていない。
しかし、モータージャーナリストの川井一仁氏は「はっきり言えるのはあの年のイモラサーキットは路面コンディションが最悪で舗装がボロボロ。レースができる状態ではなかった」と述べている。
世界中が悲しみに暮れたセナの死
セナが亡くなったというニュースは世界中を悲しみに暮れさせた。
母国ブラジルではサッカーの試合を止め、黙祷を捧げるほど。日本でもF1中継をしていたフジテレビがセナの追悼番組を一日以上流し、セナの死が報道された新聞は完売した。
F1チャンピオンを3度獲得したニキ・ラウダは「セナは本当にマジックだよ。過去に誰も成しえなかった技術と完璧さを持った、最高のドライバーだった。それを我々は失った。
それがセナを表すもっともふさわしい言葉だろう。不世出の天才ドライバーアイルトン・セナを超える者は現在もいない。
(篁五郎)
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 5/15号 [雑誌]