今、日本は空前の“ゲスブーム”です。テレビ・雑誌・ネット、どのメディアを観ていても、ゲス・ゲス・ゲス……。
何かにつけて、この二文字が躍っています。
先鞭をつけたのはもちろん、ベッキーとの不倫熱愛騒動で一躍時の人となった、ゲスの極み乙女の川谷絵音。そこから六股騒動の狩野英孝、育休不倫の宮崎謙介議員と、ゲスの連鎖は続きます。
まだ2016年になって2ヶ月ちょっと。このハイペースぶりからすると、今後も当年中に、新しいゲスなゴシップスターの誕生がありそうな予感。

もちろん、上記3名以外にも、世間を騒がすプレイボーイはこれまで何人も登場してきました。
当代屈指のチャラ男といえば、ジャニーズのNEWS手越裕也でしょうか。その元祖を辿ると、昭和のプレイボーイと呼ばれた火野正平に行き着きます。数々の女優と浮名を流したそのモテっぷりは、今でも語り草。
そんな彼の系譜に連なるモテ男として、「平成の火野正平」と一時期呼ばれた男がいました。それが、羽賀研二です。

いいとも青年隊としてデビューした羽賀研二


沖縄県沖縄市出身の54歳。現在は、2007年に自らが引き起こした「未公開株詐欺事件」により受刑者として服役している彼がテレビの舞台に登場したのは、1982年のこと。
『笑っていいとも!』スタート時の、栄えある「いいとも青年隊」第一期生としてデビューしました。
アメリカ人とのハーフゆえのホリが深く甘いマスクで、一躍人気者になった羽賀。テレビドラマ「鞍馬天狗」で沖田総司役を演じたり、米映画「ネバーエンディングストーリー」の日本語版テーマソングを歌ったりと、歌手・俳優として活躍しました。

そんな彼が、ゴシップの星となったのは、1994年。梅宮アンナとの交際が発覚した時でした。ただの熱愛スクープならば、今頃その程度のニュース、とっくに芸能史の奥底にうずもれていることでしょう。
しかし、そこは平成の火野正平。数々のドラマを巻き起こし、当時、昼下がりのマダムたちをテレビに釘付けにしたのです。

梅宮アンナとの“ペアヌード写真集”発表の衝撃


まず彼には、多額の借金がありました。それを承知の上で恋人関係を続ける娘・アンナを心配して、黙ってなかったのは父・梅宮辰夫です。かつては散々遊びつくしてきた彼も、この頃は既に子煩悩なパパ。公然とマスコミの前で2人の交際を否定したのです。
反対されるほどに盛り上がるのが、恋愛の常。
1995年、羽賀とアンナは、巨匠・篠山紀信の被写体となり“ペアヌード写真集”と題した、濃厚な絡みありのヌード写真集を発表します。裸で抱き合ったり、愛撫し合ったりする2人の写真は、当たり前ですが、ぞっとするくらい生々しくてリアルです。撮影終了後の夜はさぞかし盛り上がったんだろうなぁ……などと、カメラに写ってないところまであらぬ想像をしてしまいます。

私生活で情を通わせた者同士のラブシーンで思い出されるのが、スタンリーキューブリック監督の遺作「アイズ ワイド シャット」です。当時夫婦だったトムクルーズとニコールキッドマンが、凄艶な濡れ場を演じて話題となった本作の公開が1999年。その4年も前に、こんな写真集を発表する当たり、変なところだけ慧眼が働くというかなんというか……。


桜庭あつことの浮気、肖像画の嘘…そして離別へ


このように、周囲の反発をよそに愛を育む2人の恋にも、終焉のときが訪れます。大きなきっかけとなったのは、1999年にグラビアアイドルの桜庭あつこが、羽賀との肉体関係をマスコミに公表したことでしょう。
その件を境に、気持ちが離れつつあったアンナへ、自分で描いたという彼女の肖像をプレゼントして起死回生を狙った羽賀。しかし、その絵が画家兼俳優の友達に代わりに描いてもらったものと暴露されてしまい、関係はさらに悪化。そんなこんなで、ついに同年、2人は別れることとなったのです。

その後、表舞台からは身を引き、宝石商として活動した後、先述した事件の首謀者として逮捕されてしまった羽賀研二。
アンナと別れた際に、梅宮一家に数千万円の借金を連帯保証人として背負わせたという後味の悪さからも、川谷・狩野などとはスケールの違う「ゲス男」と言えるでしょう。彼の出所は3年後の2019年。ぜひとも、宝石商として、おとなしく余生を過ごして欲しいものです。

(こじへい)

羽賀研二という生き方