初代王者「3度目の戴冠」とはならなかった。
第88回センバツ甲子園の優勝は奈良の智辯学園。
延長戦で高松商業を下し、春夏通じて初優勝。決勝戦での延長サヨナラ勝ちは27年ぶりという劇的な幕切れだった。
初代王者「3度目の戴冠」はならず。高松商業の歴史とセンバツ史

名門校とはいえ、これまで全国4強が最高順位だった智辯学園。それだけに今回の優勝の味は格別に違いない。全5試合を完投(全669球)した村上頌樹投手をはじめ、まずは栄冠を手にした選手たちについて讃えたい。

一方で、今大会を語る上で外せないのが敗れた高松商業だ。初代センバツ王者であり、20年ぶりに出場した古豪が56年ぶりの優勝を果たすのかに注目が集まった。大会期間中、「我々には責任がある。ファンがいるんですから」と語った高松商・長尾健司監督。その言葉通り、高松商の名を聞いて心躍らせたオールドファンも多かったはずだ。

過去の高松商センバツ制覇を振り返ると、劇的な「大会史上初ホームラン」が生まれていた。そして今大会でも、高松商はある「大会史上初ホームラン」を決めていたのだが……。


奇しくも今日4月1日は、センバツ史を語る上でも、高松商野球部を語る上でも重要な日、といえる。高松商とセンバツ史を「大会史上初ホームラン」のエピソードとともに紐解きたい。

センバツの歴史は高松商とともに


1924(大正13)年、名古屋市郊外八事(やごと)の山本球場に「過去一年間の試合で最強チームと認められた」8校が集結し、センバツ大会が産声をあげた。その日が今日、4月1日だった。

そして開幕ゲームとなった高松商対和歌山中の1回表、先頭打者として打席に立ったのが高松商の主将、野村栄一選手。野村選手が放った打球はレフトのトタン塀を越す大会第1号ホームランに。センバツ大会は高松商のプレイボール弾で幕を開けたのだ。

この一打が口火となって勢いに乗った高松商は当時最強とうたわれた和歌山中を7対6で撃破。その勢いのまま勝ち進み、初代センバツ応者の栄冠を勝ち取った。

ちなみにそもそもセンバツ大会が生まれたのは高松商がキッカケだった、という言い方をする人もいる。当時、四国では松山商が覇権を握り、高松商は確かな実力がありながら全国の舞台で活躍する機会に恵まれなかった。そんな「地方の雄」を全国の野球ファンの前で戦わせよう、として始まったのがセンバツ大会だったからだ。

この第一回センバツ大会が行われた1924年の夏、兵庫県に甲子園球場が完成。
当初は毎年、開催地を変える予定で始まったセンバツ大会ではあったものの、第2回大会以降は夏同様に甲子園での開催となった。高松商は史上唯一、甲子園以外での優勝校にもなったわけだ。

さらに余談。そもそもセンバツ大会が生まれたのは高松商がキッカケだった、という言い方をする人もいる。当時、四国では松山商が覇権を握り、高松商は確かな実力がありながら全国の舞台で活躍する機会に恵まれなかった。そんな「地方の雄」を全国の野球ファンの前で戦わせよう、として始まったのがセンバツ大会だったからだ。

史上初の「優勝決定サヨナラホームラン」


次に高松商がセンバツで優勝したのが1960(昭和35)年のこと。米子東との決勝戦は8回終了時点で1対1、両校あわせてもヒットが5本しか出ない投手戦が繰り広げられた。

迎えた9回裏、高松商の先頭打者、山口富士雄選手は左翼ラッキーゾーンに春・夏通じて史上初となる「優勝決定サヨナラホームラン」を放った。これが、高松商が生んだ2本目の「史上初弾」だ。

ちなみに、この大会で生まれたホームランはこの1本だけ。最後の最後で生まれた「大会第1号」という劇的な幕切れで、高松商は甲子園のファンの心を掴んだのだ。

今大会でも生まれた「史上初弾」


今大会、20年ぶりにセンバツ大会に戻ってきた古豪・高松商。昨秋の神宮大会優勝によって勝ち取った出場権だったが、戦前の下馬評は決して高くはなかった。


そんな高松商に今大会の勢いをもたらしたのが、同校野球部センバツ3度目の「史上初弾」だった。2回戦で植田理久都が、3回戦(準々決勝)ではその兄・植田響がホームランを放ち、「同一大会では史上初となる兄弟アーチ」を完成させた。

過去2度の大会制覇において、共通して生まれていた「大会史上初弾」。そして今大会でも同様に、高松商は「史上初弾」を決めてみせた。結果として、3度目の「史上初弾」も法則発動とはならず、高松商の3度目の栄冠は夢と消えた。それでも準優勝は誇るべき成績であり、今大会で高松商ファンはまた増えたはずだ。

商業高校野球部、復権なるか!?


センバツが終わっても、またすぐに夏に向けた戦いが幕を開ける。今度は1996年夏以来「20年ぶり」となる夏の甲子園出場をかけた戦いだ。

そしてそれは、高校野球界における「商業野球部復権」という戦いでもある。

高松商業に代表されるように、かつての甲子園の常連校は、そのほとんどが「商業高校」だった。四国では「四国四商」という言葉が生まれ、高松商(愛媛)以外でも、松山商(愛媛)、徳島商(徳島)、高知商(高知)と、各県の県立商業高校が野球部名門校として君臨し、それぞれが全国制覇を経験。切磋琢磨することで四国野球のレベルを突き上げ続けてきた。


ところが、80年代頃から年々、商業野球部の躍進の姿は少なくなった。そして春は1985年の伊野商、夏は1996年の松山商を最後に、商業高校の優勝校は誕生していない。

高松商に限らず、全国の商業高校野球部が復権することで、高校野球はさらに盛り上がりを見せるはずだ。公立校や古豪が勝ち上がる姿が、最近の高校野球に欠けていたものではないだろうか。

春が終わった。でもまたすぐに、球児たちの夏が始まる。
(オグマナオト)
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