脚本:西田征史 演出:大原拓

土下座するとと
ひげの先がクルンとカールした専務(ラサール石井)の大事な絵を汚してしまった三人姉妹に、「安心してください」と2015年の流行語を使うととこと小橋竹蔵(西島秀俊)。娘三人をつれて専務に謝りに。
どうなるとと? と思ったら、じつは絵は贋作だった。
朝ドラ十八番、翌日すぐ事件解決、さっそく出たー。
と茶化すのは簡単。だが、待て。土下座する姿を娘に晒すことで、脚本家・西田征史は、父権社会を真っ向から否定してみせる。大原拓の演出も、常子(子役・内田未来)がととを見ている顔をしっかり映し、このあと、彼女はこの父の姿を目に焼き付け、背負って生きていくのだという狙いがよくわかる。
説明するまでもないだろうが、念のため確認しておくと、「とと姉ちゃん」は、「とと」と呼ばれた父亡き後、父代わりに一家を支えたヒロインの物語だ。
家では父親が絶対権威だった時代、女が父親の代わりをすることに関して、もしや、意外と骨のある描き方をするのかもしれない。6日の「スタジオパークからこんにちは」にゲスト出演した西島秀俊が、西田の脚本には「!」が少ないと言っていたこともあり、ひじょうに端正な脚本なのか。
可能性を感じさせる脚本は、常子の将来を規定すべく、ととにすてきな考え方を次々披露させる。
ひとつは、三人姉妹の合作(すてきな絵)を10円で買い取ること。昭和初期は、銀行員や教員の初任給が50〜70円くらいだったらしいので、当時の10円もそこそこ高いと思われるが(1000円なんて、今より断然贅沢品だった車を1台買うのには足りないくらいらしい)、姉妹の思いやりの心にはそれだけの価値があると、ととは言う。
次に、どんなに忙しくても、家訓を守ろうとすること。
ところが、おわりに「竹蔵が結核に倒れたのはーー」というナレーション(檀ふみ)が入る。こうなると、無理して、朝ご飯を必ず家族でとったり、月一でお出かけしたりしたことで、病気になってしまったとしか思えないのだ。
悲しい・・・。
「あさが来た」の終盤からどれだけ人が死んでいるのか。イケメンを次々殺していくとは、どうしたことだ、朝ドラと思いながら、浮かんでくるのは、あたまのほうで流れる主題歌だ。「涙色の花束を君に」と宇多田ヒカルが愛と憂いをこめた歌声でうたっている。「とと姉ちゃん」は、別れの哀しみからスタートするようだし、この歌も、どこか陰がある。明るく楽しい家族ものに見せて、実はけっこう重いものを背負っていくという覚悟に違いない。なにしろ10代の女の子が、父の代わりに一家を担うという大変な宿命のドラマである。
また、面白いのが、ナレーションの檀ふみと衣裳監修の黒澤和子と、偉大なる父(作家の檀一雄、映画監督の黒澤明)をもった人物をそろえていることだ。この座組、制作統括の落合将は意識してのことだろうか。
今日から心がけたい、すてきな生活描写
専務に詫びる時の子どもたちの頭の下げ方が、深々と、じつにていねい。
(木俣冬)