サッチャーが首相に就任した1979年、アフリカ南部のザンビアでコモンウェルス諸国首脳会議が開催された。当時、ザンビアに隣接する旧イギリス領の南ローデシア(現・ジンバブエ)では、白人政権による人種差別政策に黒人たちが激しく反発し、内乱が続いていた。しかし同年のコモンウェルス会議でも焦点となるはずだったこの問題に、サッチャーの前任のキャラハン政権は及び腰で、アフリカ諸国をはじめ多くの加盟国からはイギリスの制裁が足りないと批判された。新首相のサッチャーはその矢面に立つことを避けるべく、会議には外相を代理として派遣し、さらに警備の面で不安があると女王にも欠席を進言する。だが、会議出席に確固たる意志を示す女王に結局サッチャーは折れ、自身も出席を決めたのだった(君塚直隆『女王陛下の外交戦略 エリザベス二世と「三つのサークル」』講談社)。

同じく白人による黒人差別が続いていた南アフリカをめぐっても、経済的な理由から制裁に躊躇するサッチャーと女王のあいだで確執があったと伝えられる。のち1990年、長らく獄中にあった南アフリカの黒人解放運動指導者のネルソン・マンデラが釈放され、4年後には大統領にまで選ばれた。これとあわせて南アフリカは1961年に脱退したコモンウェルスに復帰している。あくまで人種間の対話と和解を望んだ女王が、こうした一連の動きに少なからず影響を与えたことは間違いない。

女性という以外に共通点のなかった二人