この2人が同じアイドルユニット出身だったことを忘れてしまっている方も多いのでは? もっとも、当時は天才・三浦大知とその他大勢といった位置付け。
満島ひかり、沖縄アクターズスクール全盛期にアイドルデビュー
1997年、11歳の時にアイドルユニット『Folder』で『HIKARI』名義でデビューした満島ひかり。
前年に「安室奈美恵with SUPER MONKEY'Sオーディション」で優勝し、主催の沖縄アクターズスクールに入校したことからチャンスを掴んだことになる。ちなみに、このときの次点は山田優だった。
'97年は、安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』が年間チャートの1位を獲得。前年デビューのSPEEDが大ブレイクし、MAXもSUPER MONKEY'Sの色を払拭しヒットを連発、DA PUMPもデビューするなど沖縄アクターズスクール旋風が吹き荒れた年。Folderもその勢いに続く形で、他のユニット同様本格的なボーカル&ダンスを武器にデビューを果たしている。
メンバーは小4から中1までと、SPEEDをさらに下回る低年齢グループであり、男2人女5人の男女混合編成だったことも大きな話題となった。
三浦大知の影で「その他大勢」の1人だった満島ひかり
デビューシングル『パラシューター』が10万枚以上のヒットを記録。子供向け人気番組『ポンキッキーズ』のタイアップが付くなど、順風満帆なスタートを切ったが、この時点での満島ひかりはバックコーラスの1人でしかなかった。
メインボーカルのDAICHIは現在の三浦大知。小学生とは思えない抜群の歌唱力は“和製マイケル・ジャクソン”と称されるほどであり、正直、FolderはDAICHIのためのグループと見る向きが大半だった。
No,2になるもFolder5は自然消滅……
2000年、FolderはDAICHIの変声期を理由に『Folder5』にリニューアル。もう一人の男子メンバー、ダンサーのJOEには声変わりは関係ない気もするが、男子2人が抜ける形で女子5人組ユニットに生まれ変わった。
この時点でのメインはAKINA。
3rdシングル『Believe』は、大人気アニメ『ONE PIECE』のオープニングテーマに起用されたこともありスマッシュヒットとなったが、それ以外にはヒットに恵まれず、わずか2年間で活動を終えている。もっとも、これは振り返ってみての話であり、後期はAKINAのソロ活動のみとなる中でグループ自体は自然消滅の形となったようだ。
2002年7月、実質的にラストとなったアルバムの発売時、満島はHIKARIとして初の単独写真集を発売しているが、これを最後に長い低迷期間に突入することとなる。
『ガメラ2』の子役出演が転機 満島ひかりは女優の道へ
そんな中、満島が活路を見出したのが現在に続く女優業。
Folder時代に主題歌を務めた映画『ガメラ2 海底の大決戦』に満島は子役として出演を果たしている。センターに立てないことへの漠然とした不安や不満を抱えていた満島、この時「映画って私が全部映る」と、満ち足りた気分を感じたそうだ。
沖縄アクターズスクール時代に初センターを務めた時も、「前に人がいないのっていいな」と思ったそうだから、元々グループ活動は向いていなかったのかも知れない。
子役時代の楽しかった思い出が、時を経て女優への道を決断させたのである。
満島が女優としてブレイクしたのは、'09年の園子温監督の映画『愛のむきだし』での鬼気迫る演技からといわれている。
今や“当代随一の実力派”とも称される満島ひかり。
この度、離婚&新恋人の存在が発覚したが、ともすればマイナスになり兼ねないニュースも演技派女優として名を馳せる満島にとってはすべてが「芸の肥やし」と、追い風になっている印象だ。相手が瑛太の弟の永山絢斗なのも絶妙なセンス。公私ともに死角なしのようである。
(バーグマン田形)
※イメージ画像はamazonよりHIKARI―Folder5 HIKARI写真集