バラエティ番組でもたびたび暴走族出身という経歴をネタにしている俳優、宇梶剛士。本人がテレビを通してカミングアウトしたのは2000年ごろのこと。


以降、「過去の自分も、今の自分もすべて自分自身。今を積み重ねることでしか、未来に参加することはできない」とのポリシーで、ワルだった時代をオープンに語っている宇梶だが、その武勇伝はどうしたってテレビ用のマイルドな仕上がり。
では、“芸能界最強”ともいわれる宇梶の強さを物語る真のエピソードとは、一体どのようなものなのだろうか……?

23人をタイマンで撃破した小6の宇梶剛士


小学6年のとき、中学1年の先輩23人が宇梶にヤキを入れるために小学校にやってきたが、すべてをタイマンで返り討ちにしている。

運動神経抜群の上、体格がよく(中1で180cm超え)力のある宇梶はケンカをしても必ず勝ってしまうため、相手が先に手を出してきたところで弱い者イジメにしか見えず、小学生にして「ケンカは勝った者損」を学んだという。
だから、弱い者には手を出さないのが宇梶の絶対的なルールであり、相手はもっぱら上級生だった。また、売られたケンカは買っても、自分から仕掛けることはないのが流儀。中学時代にもケンカを売ってきた十数人をひとりで撃破しているのだから、末恐ろしい逸材だったといえよう。そして、そのケンカの才能は暴走族時代にさらに開花するのであった。

宇梶剛士、2,000人のメンバーを抱える暴走族の総長に


17歳で構成員2,000人を抱える暴走族「ブラックエンペラー」の総長となる。

高校を中退した宇梶は暴走族でケンカに明け暮れるすさんだ日々を送っている。
ヒロミがバラエティ番組で「僕らがガキだった頃、とんでもなく有名だった人」「怖すぎて近づけなかった」と語るのはこの時期のことだ。

加入早々に単身本部に乗り込み、いきなり総長の座を奪おうとしたのだから、もうマンガの世界そのもの。しかも、その場に居合わせた奴ら全員を片付ける自信があったというのだから恐ろしいにも程がある……。
その場は当時の総長になだめられたが、1年も経たぬうちに東京はおろか、関東一円に「宇梶」の名は広まったという。
先代の総長引退に伴い、満場一致で新参者の宇梶が新総長に就任したのだから、そのカリスマ性は本物。この頃の集会にはバイク600台で1200人、車100台で400人は集まっていたそうだ。
17歳の宇梶はここから勢力を拡大、構成員は最終的に2,000人にまで膨れ上がっている。

もはや都市伝説!? 真偽不明な武勇伝の数々


自伝には、当時は「およそ人間のすることではない、冷血で非道な抗争劇が新聞にもとり沙汰されるようになっていた」とある。
さすがに、この辺りの詳細を本人が語ることはない。しかし、真偽不明の都市伝説は数多く存在している、
「ケンカ相手を簀巻きにして湖に沈めた」「ケンカ相手の顔面をエンジンで焼いた」「70kgほどある原チャリを川にぶん投げた」「日本刀で斬られた」などなど、あの柔和な笑顔の裏には、物騒すぎる過去が秘められているようである……。

宇梶剛士がシリアスな演技で見せる圧倒的な存在感には、リアルな修羅場をくぐってきた凄みを感じずにはいられない。
今や、腹筋マシン『ワンダーコア』のCMが代表作になってしまった感があるが、ぜひスクリーンでもその凄みを感じたいものである。

※イメージ画像はamazonより不良品 (ソフトバンク文庫)
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