ドラマに映画に欠かせない個性派俳優として、60歳となった現在も精力的に活動を展開する竹中直人。人によって、「モノマネの人」「秀吉」「のだめのドイツ人」「モビットの人」など、さまざまなイメージを抱かれているのではないだろうか。


多摩美術大学に在学中からコメディアンとして頭角を現し、劇団青年座に入団。80年代にはシティーボーイズ、宮沢章夫らとコントユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」で活躍するなど、早くから才能をいかんなく発揮していた竹中だが、その多才ぶりが驚くべき開花を見せたのが90年代だった。
そのボーダレスな足跡を、ジャンル別に紹介しよう。

コメディアンとしてカルト的支持を得た竹中直人


83年に『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)でグランドチャンピオンに輝いて以来、バラエティー番組や舞台で活躍。90年代には、ビシバシステムらとともに、『東京イエローページ』(89~90年/TBS)、『竹中直人の恋のバカンス』(94~95年/テレビ朝日)、『デカメロン』(97年/TBS)などの深夜コント番組に立て続けに出演し、お笑いファンからカルト的な支持を得る。

竹中直人、大河ドラマで主演に


テレビでは、96年にNHK大河ドラマ『秀吉』に堂々主演。その18年後、14年の大河『軍師官兵衛』でも再び秀吉を演じるなど、生涯におけるはまり役となる。
映画では、90年代に3度、日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を獲得している(92年『シコふんじゃった。』『死んでもいい』、95年『EAST MEETS WEST』、96年『Shall we ダンス?』)。日本アカデミー賞授賞式での竹中のスピーチも、番組名物となっていた。
コメディーのイメージが強い竹中だが、『ヌードの夜』『GONIN』『完全なる飼育』シリーズなど、エロティック、バイオレンスな役柄も当たり役としている。

多忙を極めるなか、90年代はほぼ年1回のペースで「竹中直人の会」(作・岩松了)の公演を下北沢・本多劇場などで行うなど、舞台活動にも精力的だ。

映画監督としても高い評価


91年、初の監督作『無能の人』がヴェネツィア国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞するなど、鮮烈なデビューを果たす。とりわけ3作目の『東京日和』(97年)は、同年の日本アカデミー賞で作品賞ほか11部門にノミネートを果たすなど、高い評価を得ている。

トップアーティストとのコラボも多数な「歌手・竹中直人」


高橋幸宏のプロデュースでアルバム『MERCI BOKU』(95年)、『イレイザーヘッド』(96年)を発表。ほか、大貫妙子、東京スカパラダイスオーケストラ、サザンオールスターズの関口和之など、トップアーティストとのコラボも多数。
また、忌野清志郎とは親交が深く、09年の忌野の葬儀では弔辞を読み上げた。

エッセイがキネマ旬報読者賞も


92年、雑誌『キネマ旬報』連載のエッセイ『少々おむづがりのご様子』が、読者投票で1位となりキネマ旬報読者賞を受賞するなど、文章力にも定評がある。『朱に交わればしゅらしゅしゅしゅ』(94年)、『月夜の蟹』(00年)など、映画への愛をつづったエッセイも多数。

サイドビジネスではなく、「芸」ひと筋でマルチな活躍を続ける竹中。母校・多摩美術大学では美術学部グラフィックデザイン学科の客員教授も務めるなど、還暦にして活動の幅は広がるばかりだ。
(青木ポンチ)

竹中直人のオレンジ気分
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