しかし、ジャニーズの金看板のみで売れるほど、芸能界は甘くありません。現在、ジャニーズの下部組織「ジャニーズJr.」のメンバーは約700人。ダンスレッスンは無料ながらも参加自由で、指導は過酷を極めるといいます。その中で選ばれた者だけに、スターダムの扉は開かれるのです。
それでも、まだ門戸が開放されただけの状態。そこから更にいくつもの試練を乗り越え、運にも恵まれたグループやタレントだけが、SMAP、嵐、TOKIO、関ジャニ∞、山Pなど、10年以上売れ続ける本物のスターとなれるのです。
今回紹介する「忍者」にも間違いなく、栄光へと続く扉は開かれていました。史上最短となるデビュー4ヶ月での紅白歌合戦初出場も果たすなど、スターになる素養はあったはず。けれども、彼らには運がありませんでした。登場するタイミングがあまりにも悪すぎたのです。
そもそも、「忍者」って何?
彼らの存在自体、知らない方も多いことでしょう。忍者は、柳沢超・遠藤直人・正木慎也・高木延秀からなる、かつてジャニーズに所属していた4人組グループ。 デビューしたのは1985年。
テレビ・ラジオ・コンサートなどで地道な活動を続けた後、90年、念願のファーストシングルを発表。その名も『お祭り忍者』。美空ひばりの名曲『お祭りマンボ』のリメイクソングです。何でも事務所的には、彼ら4人を「日本の伝統文化を取り入れた、演歌のような楽曲も歌えるアイドル」に仕立て上げたかったのだとか。
リメイク曲のイメージが強すぎた忍者、没個性的な印象に……
確かに方向性はしっかりとしており、それ自体は悪くありません。けれども、その後も『リンゴ追分』⇒『リンゴ白書』、『車屋さん』⇒『おーい!車屋さん』など、美空ひばり・リスペクト曲を立て続けにリリース。
しかしこれがよくありませんでした。「お嬢の曲を拝借するイロモノ」的イメージが、世間に定着してしまったのです。
『亜麻色の髪の乙女』をカバーした島谷ひとみ然り、ジュリーの『TOKIO』をアレンジしたカブキロックス然り、自分の代表曲がリメイクのみの歌手と言うのは、往々にして下降線を辿っていくものなのです。
光GENJIの威光、SMAPの勢いの前に無力だった忍者
加えて、先にも書いたように、デビューする時期の不運もありました。彼らが世に出た当時は、光GENJIの全盛期。当然、人気はそちらに集中します。
光GENJIの勢いに陰りが出かと思ったら、今度はSMAPが台頭。アイドルの常識を変えたとも言われる辣腕マネージャーに率いられた6人は、それぞれの個性を存分に発揮しながら、唄だけではなく、ドラマにバラエティにと大活躍。メインボーカルを務める正木に抜群に歌唱力がある以外、取り立てて特徴のなかった忍者が埋没してしまうのも無理はありません。
その後、メンバーの脱退、グループ名の変更など、迷走を続けた挙句、1997年にひっそりと解散した忍者。ジャニーズだからといって、コンセプトとタイミングを誤ると売れない。そんな芸能界の厳しさを、私たちに教えてくれた貴重な存在です。
(こじへい)