元々、アルピーはニッポン放送で「オールナイトニッポン」を担当しており、高い人気を誇っていたのだが、今年3月にまさかの終了。
ところで、なぜニッポン放送は人気だったアルピーのラジオを終わらせてしまったのだろうか。今年3月での終了に対して疑問の声を投げかけていたラジオファンも多い。
しかし、ニッポン放送の歴史を見ると、芸人に対する局の扱いはお世辞にも良いといえないことが分かる。これまでにも多くの芸人とトラブルを起こし、人気番組の終了を余儀なくされたケースがいくつもあるのだ。
明石家さんま
明石家さんまはかつてニッポン放送で「明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送」(1983年~1988年)のパーソナリティを務めていた。
しかし、ニッポン放送が番組冒頭30分を録音放送した際、さんま側に無断でその部分をなんと生放送のように放送。これに対してさんまは激怒し、最終的に番組は降板してしまった。
この影響でさんまが所属する吉本興業とも、一時険悪な関係になったという。
とんねるず
とんねるずは「オールナイトニッポン」を1985年から担当し、若者を中心にかなりの人気を誇っていた。しかし1992年、当時ニッポン放送のプロデューサーだった宮本幸一氏の「とんねるずは俺が育てた」という発言に石橋が激怒。「もうオールナイトニッポンには出ない」と石橋が放送をボイコットする事態にまで発展してしまう。
結局、話し合いの結果、次の週から放送に石橋が復帰したものの、その約半年後には番組は終わりを迎えたのだった。
伊集院光
伊集院といえば、今やTBSラジオの顔であり、ラジオ界のトップとも言える人物であるが、元々はニッポン放送で活躍していた。
番組改編期ではない時期の終了だったこともあり、かなりの憶測を生んだが、終了の一因はとんねるずと同じく、宮本幸一氏だったらしい。
伊集院がパーソナリティを務めるTBSラジオ「深夜の馬鹿力」内では、たびたび関連するエピソードが語られている。そのひとつが先述の宮本氏に挨拶したところ、頭を掴まれ頭のニオイを嗅いで、「売れるニオイが全くしねぇ」って言われたというもの。
このような数々のニッポン放送側の不遜な態度が、降板につながったといえる。
結果的に今回のアルピーも、伊集院と同じくニッポン放送からTBSラジオへの「移籍」となった。伊集院と同じように新天地でさらなる活躍をすることを願いたい。