1997年にお台場の新社屋に移転したのだが、実はフジテレビが面白いことをやっていたのは、この河田町時代である。
面白い深夜番組を数多く制作した河田町時代
深夜番組に強く、「カノッサの屈辱」「とぶくすり」「カルトQ」「NIHGT HEAD」など数々の名作を生みだした。
「視聴率三冠」を達成するのは、お台場に移転してからだが、その土台を作っていたのは河田町のフジテレビ社屋時代というわけだ。
情報が飛び交うフジテレビの食堂
お台場社屋になってからは巨大ビルになり、セキュリティも強化されたが、河田町時代は今ほどセキュリティが厳しくなく、多くのマスコミが局内に出入りしていた。それこそ「打ち合わせ」という名目で、アポなしで売れっ子タレントのマネージャーを捕まえて出演交渉することも日常だった。
今のように携帯電話がない時代ゆえに、いつでもどこでも連絡を取ることはできない。だからマスコミも足を使ってマネージャーや番組スタッフと交渉。何度も足を運ぶことで、相手との距離を縮めることができたとも言える。
フジテレビの河田町時代、スタジオに近い食堂が、局スタッフ、タレント、マスコミが交流する拠点だった。打ち合わせ、取材の場になることはしょっちゅうであり、様々な情報が飛び交う場所でもあったのだ。
河田町時代の若いスタッフが黄金期を作る
実にカオスだった河田町時代だが、フジテレビは日本テレビに追いつこうと必死だった。ジャイアンツ戦という強いコンテンツを持った日本テレビの牙城を崩すのは容易ではなかったが、フジテレビは個性的なクリエイターを使い、多様なアイデアを番組に投入した。
小山薫堂構成の「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」、カリスマ美容師ブームを作った「シザーズ・リーグ」など、我流で築き上げた個性的な番組を深夜に投入。そしてゴールデンタイムはドラマでフジテレビのブランド力をあげていった。
「101回目のプロポーズ」「東京ラブストーリー」「ひとつ屋根の下」「あすなろ白書」……多くの人気ドラマを輩出している。
お台場移転後のフジテレビの栄華は、河田町時代に鍛え上げた若いテレビマンたちの才能が花開いたときとも言えるだろう。
最近はやることなすこと裏目に出ているようなフジテレビだが、過去の栄光にすがることなく、河田町時代のテレビ界の切り込み隊長のような勢いを取り戻してほしいと願うばかりだ。
(れおなるど)